18 みな新らし

「かつて肉によりてキリストを知りしが、今より後はかくのごとく知ることをせじ。人もしキリストにあらば新たに造られたる者なり。古きはすでに過ぎ去り、見よ、新しくなりたり」(コリント後五・16、17)。

昔アテネの人々は、ただ新らしいことを告げ、あるいは聞くことにのみその日を送っていたが(使徒十七・21)、これは肉欲より出た初物食いである。我らはこのような意味においてではなく、霊において真にみな新しき恵みを味わうことができる。ただしその秘訣は、

霊によってキリストを知り

キリストにあることである。多くの信者は肉によってキリストを知るのみであるから、真にみな新しくなることができずに、やはり多くの古い残り物を持っている。肉によってキリストを知るとは、物質的に神の恵みを味わい知ることと、ただ頭において理想的にキリストを描き、また感情によって恵みを経験することを指すのである。これは一種の偶像信者である。生けるキリストは人間の想像や感情で造り出すものではなく、我らが全くへりくだり、打ち倒れ、静まって神を待ち望む時、聖霊によってわが霊に黙示される御方である(ガラテヤ一・16)。このようにキリストを知り、キリストにある者は、一切がみな新しくなるのである。