世とその欲
藤井武 Takeshi Fujii
第一 世とその欲とは過ぎゆく
なんじら世をも世にあるものをも愛すな。人もし世を愛せば、父を愛するの愛その衷になし。
世、即ち不信の社会全体(Kosmosは宇宙を意味し、或いは人類を意味し、或いは特に不信の社会を意味する)またその中にある諸々の美しきものを、基督者は如何に取扱うべきであるか。実際我らは屡々ここに心ひかれるのである。我ら近代人は屡々信仰と芸術との調和を夢みる。イエスの足跡を踏みつつギリシャ主義の美的生活を実現することは出来ないものか。もし日々におのが十字架を負うべくあらば、黄金に真珠を
しかしながらこれ実は小ざかしき考え方である。聖書は断じて斯の如き思想を認容しない。この問題についての聖書の発言は常に簡単明瞭である。使徒ヨハネがここに言うとおりである。曰く「なんじら世をも世にあるものをも愛すな」と。愛するなかれである。世と世にあるものとに対して我らの取るべき態度はこの一言に尽きる。たとえ如何に真実らしき理由があってもいけない。世と妥協するな、世の精神に倣うな、世の習慣を採用するな、世の喝采を求めるな、信仰を芸術の
何故?理由をくどくど説明するまでもない。世を愛する心そのものが最上の説明である。疑うものは自ら世を愛して見よ。不信の社会と慣れあいて見よ、そこに円満なる交際を続けて見よ、帝劇又は帝国ホテルなどに頻々と出入りして見よ、盛装の異性と共に踊りて見よ、新聞界雑誌界に自己宣伝を試みて見よ、論文を提出して学位を得て見よ、新時代の花形と謳歌せられて見よ、芸術味ゆたかなる家庭を作りて見よ。……それらの事が善いか悪いか私は知らない。ただ一つの事は確かである、すべて斯の如き傾向にあるところの生活には、神をおもう心が決して溌剌と生きていない事これである。私は小さき外側の問題の是非を争う余裕をもたない。踊りたき人をして踊らしめよ。しかしながら彼らをして告白を偽らざらしめよ。世を愛しつつなお神を愛すると言う者があるならば、私はその人の偽善を
けだし神の国の趣味と世の趣味とは根本的に相容れない。彼処に貴き事は此処に卑しとせられ、彼処に醜き事は此処に美しと感ぜられる。イエスの教えに逆説の充ち満ちていたのはそのために外ならない。「異邦人の君のその民を
おおよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇りなどは、父より出づるにあらず、世より出づるなり。
世にあるものは多い。その中には甚だ高尚に見えるものも少なくない。屡々我らの心惹かれる所以である。しかし高尚らしく見えるものの実質如何。おおよそ世にある一切のものは、之を三種の範疇に大別することが出来る。肉の慾、眼の慾、および所有の誇りこれである。
肉の慾は世にあるものの第一である。飲食の事、生殖の事、衣服の事、住宅の事、これらに勝りて世の人の心をそそぐものはない。社会問題といい、性の問題といえば、ほぼ現代社会の問題を尽くすのである。
しかして肉体の要求必ずしも悪しくない。肉体そのものは聖い。それは神の造りたまいしものである。それは霊魂と共に人の生命の要素である。それはまた聖霊の宮として神の栄光を顕わすべきものである(前コリント六の一九、二〇)。故にキリストの救いは霊魂のみに止まらない、必ずやその機関たる肉体にまで及ぶ。「……我らも自ら心のうちに嘆きて子とせられんこと即ちおのが体の贖われんことを待つなり」(ロマ八の二三)。神の創造にして人の生命の要素であり、聖霊の宮たるに適するものにして、霊魂と共に完うせらるべきもの、斯の如きものの要求が始めより悪しくあろう筈がない。肉体の神聖であるが如く、その要求もまた本来神聖である。
ただ神の創造には大いなる秩序がある。万物各々自ら止まるべき地位を有する。その地位に止まり、その従うべき所に従ってこそ宇宙の調和は実現する。秩序一たび
第二は眼の慾である。眼もまた肉の一部には相違ないが、しかしその職能より考える時、眼は肉よりも寧ろ霊に属する。「身の燈火は眼なり」という。光明は眼より来る。知識と想像、思索と鑑賞、批判と憧憬、すべてそれらの働きを代表するものが眼である。眼の慾即ち精神の慾である。
精神又は霊魂の要求そのものが聖いことは肉体の要求の場合と異ならない。しかしここにもまた堕落したる慾がある。精神といい、心といい思いという、
第三は所有の誇りである。慾すでに成れば誇りを生む。肉の慾眼の慾達せられて所有の誇りと化する。学者の
肉の慾と眼の慾と所有の誇り、すべて世にあるものはこの三者の何れかに属する。世の人の理想は之らのものの外には出でない。しかして之らのものの価値はまず第一にその起源によって知られる。
世と世の慾とは過ぎゆく、されど神の聖意 をおこなう者は永遠 に存 まるなり。
世よ、また之に属する慾よ、汝らは確かに大いなる勢力である。汝らは屡々強く神の子たちの心を誘う。汝らに誘われて遂に神を棄てし所謂背教者は昔から決して少なくはない。汝らは確かに大いなる勢力である。
しかしながら如何に大いなる勢力であるにもせよ、汝らは既に運命づけられてあるのである。汝らは過ぎゆかねばならぬ。汝らは滅びねばならぬ。キリスト再び来ます日、不信の世はその中にある所の肉の慾、眼の慾、所有の誇りと共に、悉く審かれねばならぬ。世の人が幸福と呼ぶ所のものはその日までである。その日、世は世として、慾は慾として、誇りは誇りとして、みな適当なる最後の待遇を受ける。
ひとり最後の問題のみであろうか。現に我らが世とその慾とを味わうときに之が予感を経験するではないか。肉の慾、眼の慾、所有の誇りを満たす者にして、誰か永遠の生命を握りたるを感ずるものがあろうか。彼等は皆その満足の底に深き空虚感を抱きつつあるのである。世の幸福は何故かは知らず空しきものに感ぜられる。肉の慾眼の慾の満足はいかばかり濃厚であっても暫時的に過ぎない。実にこの言いがたき空しさの感じこそ、すべて世とその慾との満足を
世とその慾とは過ぎゆく。我らはそれを予感する。満足そのものの中にさびしさがある。厳粛なる事実である。人の霊魂は世の幸福を以て満たさるべく余りに深い。霊魂は永遠を要求する。しかして世とその慾とは之に応じないばかりでない、却ってその悲哀を一しお切実ならしめる。
世の慾を満たすは空しい。之に反して神の聖意を行うは福いである。そこに永遠なるものの予感がある。僅かに一杯の冷水の給与でもよい。その悦びは消ゆべき性質のものではない。
けだし神の聖意を行う者は彼自身に永遠の生命を有するからである。その行為は永遠の生命の破片に外ならない。彼は自らとこしえに生きる、しかしてその業は彼に従う。「彼が今ある所のものにて彼は後にもあるであろう、彼が今なす所のものを彼は後にもなすであろう。変化はただ現に小事に忠なるものが後に大事を任かさるるに過ぎない」。誠に神のみこころを行うの生活そのものが永遠の生活である。
〔第五六号、一九二五年二月〕
第二 財の問題
一 金を愛するこころ
####(一)
何時の代においてもそうであるが、殊に近代の人々は、総じて或る悪性の病気に取り附かれている。しかも彼らはみずからそれを自覚しないだけに、そのみじめさは一層甚だしい。
病気とは何か。利益を愛するこころである。利慾病である。
その症状は色々の形において現われる。まず第一には、損得の意識の鋭敏さである。今の人々は道徳的正邪の問題については、驚くべく冷淡かつ遅鈍である。屡々社会の指導者階級にある人たちが、時に問題となれる自己の大いなる非行について、「自分はその事の道徳的に正しいか否かを知らない」などと公言するのを聞いて私はただ呆れる。謎にしては余りに真顔であるから。何という恥無さであろう。しかもちょうど此の道徳的意識の鈍感さに比例して、利得もしくは損失という経済的意識においては、今の人々――我ら――はまた余りにも熱心かつ敏感である。我らは事に当たりてじきに打算する。そうしてとにかく損をすまいと努める。もし不幸にして損をせんか、たとえそれがただ一区の電車賃などであっても、「損をしたナ」と忘れず意識するのである(都合のわるき時には小さき虚言の一つぐらいを発しても平気でいながら!)。実に今の人々の口に「損」とか「得」とか「
或いは利益提供が人を動かす力の大いさを見よ。現代の社会における最大の実力は何か。勿論正義ではない。言うまでもない。さりとて権力でもない、現代人は国家や上層階級やの権力と闘うには割合に勇敢である。然らば何か。女色か。それは確かに昔ながらの恐るべき勢力ではある。しかしそれにも尚まさって、さながら
もう一つ、宗教界の事を例に取って見る。殊に基督教界の事。自分はなるべく悪口を言いたくない。しかし事実は蔽うべからずである。見よ、功利的なる牧者の伝道。見よ、功利的なる羊の信仰。見よ、功利的なる教会の福音。
牧者たちはどんな精神を以て伝道しているか。真理の単純なる証明というような気持は薬にしたくもない。念とするはただ結果である。一人でも多くの信者を造ること――名義だけでよろしい――但し自分の教会には属して貰わねばならぬ――ただそれだけの事である。どこまでも結果本位である。動機や手段は措いて問わない。信者製造のためならば何でもする。宣伝もすれば、掛引もする、輿論の後押しもすれば、政府の提灯持ちもする。全く儲けのためには何でもするという商買根性そのものである。今の伝道はみな商買である。「その商品は人の霊魂なり」と聖書にある通りである(黙示録一八の一二、一三)。
牧師が商人ならば教会員もまたそうである。彼らは何のためにキリストを信ずるのか。栄光を神に帰せんがためか。それとも「義のために責められ」「聖名のために辱しめらるるに相応しき者」とならんがためか(マタイ五の一〇、行伝五の四)。断じて否。彼らが主を呼ぶは、ただ自分の煩悶を取去られんがため、ただその病気を癒されんがため、一言にしていえば、何かの利益を得んがために他ならない。利益のための信仰である.すなわちまた商買の一種である。
そうしてそれは無理もない次第である。何となれば彼らの信ずる福音そのものが「功利の福音」であるから。偽の預言者たちは、彼らに媚びんがために、いつも説くのである、いわく「敬虔は利益の途である」と(前テモテ六の五)。かくて牧師も信者もみな教会に集まりて共々に「神の家を商買の家」となしている(ヨハネ二の一六)。
数おおき基督教の雑誌を見よ。いわゆるジャーナリズム即ち雑誌的商買根性がいかに根深くも喰い込んでいることよ。その記事の選択から文句の使い方にまで現わるる「売らんがため」の心づかい!ああ厭らしい哉。もし読者の数を求むべくば、何ぞ去って大衆文芸の仲間入りをせざるや。キリストは彼の名を資本に商買せよとは告げたまわなかった筈である。
商買また商買。宗教も商買である、教育も商買である、芸術も商買である、政治も商買である。この故に既に政商があり、今やまた学商があるという。あに芸商、宗商がなかろうや。まことに我らは問いたい、今の世に商買ならざる何ものがあるかと、または商人ならざる何人があるかと。世界は大きな市場であり、人々はみなバラムの子である。彼らの
####(二)
もし右のごときが事実であるとしたならば(誰がそれを否定し得ようぞ!)然らばまさに大きな問題ではないか。
まずそれが正常な状態でないという事、すなわち病的であるという事には、何人も異存はあるまい。神を知ると知らざるとに拘わらず、利慾を卑しむこころは人類に固有である。それは我らの良心に鉄筆をもて刻み込まれている。如何なる功利主義の哲学を以てしても、この自然的律法を掻き消すことは出来ない。
試みに一つの場合を仮定して見よう。ここに二人の人がある。甲は正義のために利益を犠牲にして生き(或いは死ん)た。乙は利益のために正義を
次に今一人ありて、この者(丙)は正義とともに、利益をも
このように、人みな生まれながらに利慾を卑しむことを知っている。然るにも拘わらず、自らは大事そうに之を抱いて離さないのは何故か。その大いなる理由の一つは、彼らが未だ利慾そのものの悪性のほどを解しない事にある。
聖書はいう、
それ金を愛するは諸般 の悪しき事の根なり。(前テモテ六の一〇)
何という
そうしてそれは事実ではなかろうか。人は昔より今に至るまで、金のために偽り、欺き、争い、憎み、誼い、虐げ、叛き、裏切り、また殺しつつある。我らは日毎にそれを見聞する。余りにも平凡なる出来事である。けれども惨ましさの限りである。いかに美しい友情がこの一つの虫のために朽ちしぼむか。いかに立派な人格がこの一つの毒のために腐りはてるか。実に吾れ人の胸に金を愛する心があるばかりに、我らの世界の日々に受けつつある
何故に然るか。何故に金の愛はかくも諸般の悪しき事の根であるか。答えていう、金を愛する心は必然神を憎む心であるからである。
人は二人の主に兼ね事えること能わず、或いはこれを憎み、かれを愛し、或いはこれに親しみ、かれを軽しむべければなり。なんじら神と富とに兼ね事えること能わず。(マタイ六の二四)
神か、金か。二つに一つである。我らは何れかを選ばねばならぬ。これを愛しながら、かれにも親しむことは、事実が許さない。なんじ富に親しむか、然らばキリストを軽しめざるを得ない。なんじ金を愛するか、然らば神を憎まざらんと欲するも能わない。バラムをおもえ、ユダを憶え。すでに神を憎む。すでに一切善の根源に叛く。何の悪しき事かそこに芽ぐまなかろう。金ゆえの残酷きわまる罪、慾ゆえの浅ましきかぎりの姿、一つも怪しむに足りない。
或いはいう、しかし十戒第七条の罪のごときは、貪りからは出て来ないと。必ずしもそうは言えまい。利慾と淫行とは決して縁のないものではない。我らはこの両者が屡々一体のように相絡んで同一人格の中に巣くうていることを実見する。現代日本の政治家たちなどがその
その目は淫婦にて満ち、罪に飽くことなし。その心は貪欲に慣れて、呪誼 の子たり。(後ペテロ二の一四)
この場合において淫慾と貪慾とは姉妹であるか、母子であるか。何れにしてもその関係は極めて密切であって、断ち切ることのできるものではない。実際上、二者はひとしく神からの離反である。従って互いに因をなし果をなす。実に淫貪両慾こそは、人生諸般の悪事の双根である。すべての罪と禍とは、大抵その何れかから出発する。
この故に聖書は我らに対し一方において
我らは何をも携えて世に来たらず、また何をも携えて世を去ること能わざればなり。ただ衣食あらば足れりとせん。(前テモテ六の七、八、へブル一三の五参照)
これまた平凡なる事実に訴えての大真理である。我らにとって無くてならぬものは何であるか。生まれて来た時のことを憶え。また死んで往く時のことを思え。我らは金を携えて世に来なかったのである。我らは富を携えて世を去ることは出来ないのである。富といい金という、みな我らの存在から離れた外側のものに過ぎない。我らは富なく金なくして生死することが出来る。我らの存在はただ霊魂と身体とにある。霊魂は
勿論富はそれ自体において悪ではない。しかしこれを慕うとき、我らの心は必ず神から離れる。故に富まざる者は富まんと欲するなかれ。
富まんと欲する者は、誘惑 と罠、また人を滅亡 と沈倫 とに溺らす愚かにして害ある様々の慾に陥るなり。(前テモテ六の九)
富める者は「惜しみなく施し、分け与えることを喜ぶ」べきである(前テモテ六の一八)。
まことに汝らに告ぐ、富める者の天国に入るは難し。またなんじらに告ぐ、富める者の神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反って易し。(マタイ一九の二三、二四)
まことに富そのものは罪ではない。しかし今の世にありて、罪なくして財の蓄えらるる途が果たしてあるか。数えがたきほどの飢える者、凍える者が所在に横たわるとき、ひとり箪笥の中に衣を
聴け、富める者よ、なんじらの上に来たらんとする艱難 のために泣きさけべ。汝らの財 は朽ち、汝らの衣は蝕み、汝らの金銀は錆びたり。この錆なんじらに対 いて証をなし、かつ火のごとく汝らの肉を蝕 わん。汝らこの末の世に在りてなお財を蓄えたり……汝らは地にて奢り、楽しみ、屠らるる日にありて尚おのが心を飽かせり。(ヤコブ五の一―五)
####(三)
以上は広く人道の上から、一般の人についての考察である。しかしこの問題は更にこれを基督者の立場において取扱うとき、一しお厳粛なる意義を発揮し来たるを見る。
基督者とは誰であるか。キリストを信じて彼と結びついた者である。是のごとき者はその生死をキリストと共にする。即ちキリストと共に十字架に釘けられて死に、また彼と共に復活させられて生きるのである。かくてすべての基督者は必ずや一たび此の世に対して死んだ者でなければならぬ。此の世あるいは此の世に属するものに対して全然興味を失った者でなければならぬ。此の事はやがて彼の現在の生命が全く新しきもの、すなわち永遠の生命そのものである事の消極的証明であって、基督者としては根本的の条件でなければならぬ。
しかるに金または富の所属はいづこにあるか。かかる虫くい錆くさり盗人うがちて盗み得るところのものが、勿論天の財宝である筈がない。金は地のもの、富は世のものである。従って之を愛するこころはいわゆる肉の慾または眼の慾の一種であって、純然たる「世を愛するの愛」に他ならない。かくのごとき心術を警めてヨハネは言った、
なんじら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛せば、父を愛する愛その衷になし。おおよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇りなどは父より出づるにあらず、世より出づるなり。世と世の慾とは過ぎゆく。(ヨハネ一書二の一五―一七)
世と世の慾とは過ぎゆく。これを愛するものもまたともに過ぎゆく。財は朽ち金は腐る。これを慕うほど虚しきはない。かかる人は預言者エレミヤの言ったように、「しゃこのおのれの生まざる卵をいだくがごとく、その生命の終わりに愚かなる者となる」であろう。
果たして然らば、世に不似合なる事とて、基督者の金を愛するがごときはない。これを天の国から窺えば、神の子が永遠の生命をうち棄てて、蛆虫のごとくに糞土をいだくのである。これを地の側から見れば、葬られし死者がおめおめ墓から這い出して来て、再び歓楽の座に
金を愛する基督者よ、なんじらもしキリストと共に十字架に
汝らもしキリストと共に甦らせられしならば、上にあるものを求めよ、キリスト彼処にありて彼の右に坐したもうなり。なんじら上にあるものを念 い、地にあるものを念 うな。汝らは死にたる者にして、その生命はキリストとともに神の中に隠れあればなり……されば地にある肢体、すなわち……むさぼりを殺せ。むさぼりは偶像崇拝なり。(コロサイ三の一―五)
何故に貪るか。何故に金が欲しいか。貧しさを厭うが故か。しかし主は祝福して言いたもうた、
福いなるかな、貧しき者よ、神の国はなんじらの有 なり。(ルカ六の二〇)
貧しさの中ならでは経験しがたき祝福がある。殊にキリストの名のゆえに貧しさを選んだ者の為には、彼は特別の祝福を用意したもう。すなわちその貧しさを聖所として、そこに彼はおのが幕屋を張りたもう。貧しさゆえの彼との親しみである。けだし彼みずから「富める者にていましたれど、我らのために貧しき者となり」たもうたからである。貧しき者がキリストと親しむは易い。
然のみでない、我らはすでに神を父と呼ぶものではないか。我らは神の子ではないか。果たして然らば、また何の貧しさぞ。「地とそれに充つるもの、世界とその中に住むものとはみな我らの父のもの」である。そうして我らは彼の「世嗣」である。我らはやがて「地を嗣ぐべき者」。彼のものはみな我らのものである。然り、地とそれに充つるもの、世界とその中に住むものとは、みな我らのものである。父なる神は今も我らのために自由にこれを使用しつつありたもう。
そうではないか。もしそうであるならば、わが親愛なる兄弟たちよ、我らをして乏しき者のごとくに貪ることなく、却って無限の長者の世嗣のごとくにいと裕かなる心がまえあらしめよ。我らのひとりがかつて無産のどん底から力づよく呼ばわったように、我らは「貧しき者のごとくなれども多くの人を富ませ、何も
さらば友よ、なんじの身分を自覚せよ。しかしてなんじの霊魂よりその古き病を振りおとせ。一切の財宝に対するなんじの関心を今日かぎり世に返却せよ。今より後、痕跡もなく銅臭を棄て去れ。損とか得とかいう語をなんじの語彙より駆逐せよ。たとえどんなに損をしてもいいではないか。キリストは我らのものではないか。友よ、再び
エホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。(詩二三の一)
二 大いなるバビロンの商買主義と基督教国の貪婪
ミード(W. W. Mead)の黙示録第十八章註解抄訳
黙示録の第十八章は約そ半を注いで、「大いなるバビロン」の商業的偉大さ及び重要さを生々と描写している。その物語には戯曲的の力がある。此の象徴的都市の商買上の生活と活動とを叙述するに明細委曲をきわめる。疑いもなく一つはこの理由のゆえに、多くの註解者はこれを文字通りの都市の意味に取るのである。すなわち言う、バビロンは再建せられ、世界の商業的首府として、ロンドン又は其の他万国のいずれの都市をも凌駕するに至るであろうと。
しかしこの結論は取るに足らぬと我らは信ずる……すでに前章第十七章のバビロンが文字通りの都市ではないとすれば、本章のそれもまた同じ象徴的の「大バビロン」ではなかろうか。然り、ここに語るは依然として偽の教会である。すなわち「
世界はこの「今の悪しき世」(ガラテヤ一の四)について誇り且つ楽観している。どちらを見ても人々は「我らの立派なる文明」を謳歌する。しかるに幾百万の人類の崇敬と祈願とを受けるあらゆる偽の神々のうち最も有力なるものの一つは、マンモン(富の神)である。そうしてマンモン崇拝の真髄と精神とは、現代の商買主義において最もよく表われているのである。いうところの「商買主義」とは何か。我らの経済的、社会的、政治的、宗教的、理知的、および娯楽的生活に対するあらゆる無限の関係の中において、商買的の原理と方法とを決定するところの、その主義を意味する。けだし事実として、この商買主義こそは、職業や住居や衣服や食物や社交や教育や文学や快楽や、ならびに礼拝等に関して、すべての文明国の人々の思想と行動とを形づくるに有力なる要素である。商買主義は神の栄光を求めずして、人の中に「肉の慾、眼の慾、生活の誇り」を起こすことを求める.その目的とするところは、この世のもの――その富、その
然のみでない。右に語った諸の害悪は、人が好んで「我らの基督教文明」と称えるところのものと特別に合体している。今日の人類生活においては、基督教国以外の何処にも斯のごとき顕著なる特徴はない。その是あるはただ或る国民、たとえば日本のごときが、大いなる世界勢力たらんとの野心をもって同じ「憎むべきものの満つる黄金の酒杯」から飲み干しはじめた所、そうしていわゆる基督教国民が今やその為によろめきつつあるところのその淫行の葡萄酒に酔いはじめた所だけである。
エジプト、バビロン、ツロ、またローマ、いずれもその各自の時代において、同じ「悪優勝」を獲得した。しかしネロ治下の不信邪教の世の悪生活、悪慣行が名目のみの基督の徒――「見える教会」全体――を特徴づけるであろうと、聖霊が告げた通り(後テモテ三の一―八)、今やその時が来たのである。そうしてかつては古代の大いなる世界的勢力の特徴であったものが、今や現代の基督教国をすばらしきまでに支配しつつあるのである。しかも今日この狂気したる永年の酔狂行列の主なる導者たちこそ、実に基督教国たる大国民らである。人を酔わしめるものはただに強き酒に限らない。利益を愛するこころ、商買根性もまた酩酊の一形式であって、しかもその劣悪であり且つ一切善に有害であること、如何なる狂的飲料の酒杯にも劣らない。「これその持ち主をして生命を失わしむるなり」(箴言一の一九)。「それ金を愛するは諸般の悪しき事の根なり」(前テモテ六の一〇)。ユダがその師を裏切ったのは、このバビロンの葡萄酒に酔った時であった。今日同じ師に対する多数の弟子たちの裏切もまた、同じく富に対する渇きにこれを帰することが出来る。金銭の愛は人をして真理の証明に
聖書が示すところの悲しき事実によれば、神の預言者たちの陥りし主なる誘惑は、いつも利益の貪りであった。彼らはそのために強いられて、神の真理ならぬサタンの虚偽への証明を立てた。
たとえば、バラムは「不義の報いを愛し」た(後ペテロ二の一六)。
士師記十七章(八―一一)に記さるる偶像の祭司となりし若きレビ人は、実にモーセの曾孫であったらしい(士師一八の三〇)。彼が祖先の神から離れたのもまた金欲しさの故であった。
サムエルの子らは「利にむかい、
イザヤ書五十六章乃至五十九章には、イザヤの時代にユダの王国に行われた霊的の暗黒と邪悪とが見事なる絵画に描かれているが、その主なる原因は神の預言者たちを捉えし商買根性にあったと見られるゆえに、一しお我らの研究に値するのである。「野の獣よ、みな来たりて食らえ、林におる獣よ、みな来たりてくらえ。
邪悪と堕落との闇夜の中における之ら偽の預言者たちの「輝かしき楽観」は、おのが没落の直前なる恐ろしき背教の中における淫婦バビロンの楽観および空想的平安と、よく相通う。
しかもこの事態の責任はただに牧者たちの上にのみ懸らない.民が
以上のごとき情勢は
新時代の大預言者が語るところも
されば是のごとき時にあたり、商買根性がその最も惑わしき光輝と魅力との限りを尽くして発顕し来たることを、我らは期待せざるを得ない。
試みに当代における二三の実例を考慮せよ、然らば現時の商買主義はこの象徴的淫婦「大いなるバビロン」の被造物であり、その子であることが判明するであろう。そうしてもしこの小さき
さらば冷静に且つ正直に現代の商買世界の状態を眺めんに、何という恐ろしき憎むべきものを我らは見るではないか。何という奇怪なる社会的不平等!何という力強き圧制!何という驚くべき正義の
このバビロンの長女なる商買主義は悪事の限りなき形態を以て世界を満たした。その新聞と運送と旅行と取引と売買とを以てする主の日の
今日相互的不信頼を以てたがいに睨みあい、一が他よりも勝りて儲けはせぬかと懸念しつつあるところのものは、何れの国民であるか。彼らは主として基督教国民である。彼らはその得んと欲する所のものの故に、もしくは他の国民が彼らの所有を貪りかつ奪わんとするであろうとの恐怖からして、
更にこの同じ商買根性のために幾たびか神の契約の民なるイスラエルの迫害の起こったことを考え見よ。過去千五百年間のユダヤ人の迫害者は誰であったか。いわく背教的基督教国、いずれの場合にも。
今日支那幾百万のたましいが阿片の害毒のために誼わるるに至ったのは如何にしてか。商買的利益のために「基督教的」英国がこれを剣の刃につけて彼らに強いたからではないか。インドにおける阿片の取引もまた同じ黙示録十七、十八両章の象徴的婦人に感謝すべきであろう。
その残忍さは恐るべき奴隷売買にもまさると言われるコンゴー河の象牙並びにゴム取引は如何。之が憎むべき当事者は同じく名目上の基督教国民である。商買上の儲けの為である。
アフリカ、アメリカ、太平洋諸島の奴隷売買の関係者は誰であったか。これまた名のみなる「羔の従者たち」であった。
「地の商人ら」がアルコール及び煙草の商売によって得た莫大の富は、これを誰に感謝すべきであるのか。「彼らは彼女によりて富を致せり」。その生産者は基督教国であり、その消費者の大部分もまた基督教国である。
世界の列強が近ごろアフリカの異教国民および太平洋諸島に対するラム酒および火器の売渡抑制について共同動作を取ったのは何の故か。之らのものの心身有害性の故か。毛頭然らず、ただ之らのものがその民らを相手の彼らの商買に有害なるが故である。けだしラム酒および銃砲はかの国々の住民を絶やし、かくて彼らの商品の市場を損うからである。
合衆国において年々十万の犠牲者を酔漢の墓に降らしめるところの、いわんや悲哀と不幸、貧窮と堕落、また遺伝的傾向などを伴うところの、酒業を、法律によって容認し公許し保護するが如き文明の「基督教的」性質は、何と思惟してよろしきや(訳者註、この一項は制度としては今は当らないが、しかし精神に変わりはない)。
すべて地上の重要なる都市には、巨費を投じて維持せらるる消防署なるものがある。その装備は完全にして、訓練よろしきを得たる人馬をも備えている。一たび警鐘鳴るや、数秒もたたぬうちに凡ては発動し、失火の現場にむかってあわただしくも突進する。たとえそれが一棟の物置または厩舎の小火に過ぎずとも。然るにその同じ都市にまた大きな地区があって、そこでは殆ど各軒毎に幾つかの客間があり、その所にて人々は物置または厩舎ならぬ「身体および霊魂」に放火すべく法律により公認せられているのである!「基督教文明」はかくのごとき地獄の火を消す目的のためには何らの消防署をも
基督教国以外において之に比すべきものはない――最闇黒の異教国においてさえも。すべてこれらの奇怪なる憎むべきものは、この大いなる「淫婦たちの母」の子であり、その娘なる淫婦たちである。怪しまるるは、神が彼女の焼かるる煙を更に速やかに挙らしめたまわぬ事である。
かかる間に、神は天よりの声をもって我らに呼ばわりつつありたもう、いわく「わが民よ、かれの罪に与らず、かれの苦難を共に受けざらんため、その中を出でよ」と。
〔第一〇二号、一九二八年一二月〕
第三 アウガスチン研究
一 肉情の縄目断たるるまで
わかき日のアウガスチンに色々の罪があった。その懺悔録において彼自らが録すところによれば、彼には怠慢もあった。それは彼が遊戯を愛し、競技の勝利を得んがために、または虚妄の譚話に耳を楽しませんがために、課せられたる学修の義務にそむいたのであった。また彼には盗みもあった。それは盗んで獲べき物の誘惑ではなく、盗むことその事の誘惑におちて、友だちと共に庭に隣れる梨子の樹を掠め、その果を夥しく奪ったのであった。また彼には虚栄心もあった。それは争訟の事においての優勝を目的とする狡猾なる学問――修辞学――の学校に首席者となって、みずから誇り高ぶったのであった。そのほか多くの悪しきものが彼の心にまた行為にあった。
しかしながら凡てにまさりて力づよき彼の罪は、肉の慾であった。生まれながらに情感ゆたかなる彼は愛しまた愛せられることを何よりも悦んだ。ただ「心より心へ」という愛の
一たび足をすべらしたるアウガスチンは、次第に深みへと陥った。例えばさわげる海のように泡だちて彼はおのが潮の奔放を追い、神を棄て神の定めたまいし限界を超え往いた。
翌年かれは或る富者の援助を得て大学に学ばんがためにカーセージへ出た。カーセージは当時のパリであった。富においても人口においてもロマに次ぎ、繁栄をアレキサンドリアと競って、華やかなる歓楽の都であった。「そこには私の
彼は自ら求めて罠の中に飛び込んだのであった。必然、悦楽と共に悲哀の縄目が彼を縛った。嫉妬と猜疑と恐怖と忿怒と争闘との、燃ゆる鉄杖に彼は撃たるるを覚えた。
その年ついに彼はひとりの無名の婦人を得てこれと同棲した。勿論正しき結婚生活ではなかった。
彼をして初めて自己の生活の虚しさを悟らしめたものは、シセロの著書『ホルテンシウス』であった。この書の中に哲学の勧めの詞を読んで、彼の情感は変わった。肉の慾望の無価値はとみに明らかになった。「信じがたきほどの熱心を以て」彼は不朽の智慧を求めた。燃えながら、地のものより神に上ろうとして彼は起った。その十九歳の時の事であった。
ここに於いて彼は聖書の研究を始めた。しかしながら「入るには低く進むには高き」その途は彼に適わなかった。聖書の
間もなく彼はマニ教に帰依した。悪を必然の性質と見るこの教えは、再び彼の罪意識を鈍からしむるに役立った。かくてあたかも事なきもののごとく不浄の結合生活を続くること遂に十幾年。
そのあいだ彼の境遇に幾変遷はあった。彼は一たびロマに出でまたミランに移った。マニ教に対する彼の信頼も甚だしく動揺した。ミランに移りてより監督アンブローズの教導のもとに、彼の蒙は少しづつ啓かれて往った。しかしながらただ変わらぬはその卑しき本能の生活であった。
「私はつくづく思い慮りて、時の長きにいたく驚いた。私が始めて智慧の欲求に燃えたち、これを見いださばすべての虚しき望みと空なる願いの狂乱とを棄てようと決心したのは、早く私の十九の年であった。しかして見よ、今わたしは既に三十歳であるのに、なお同じ泥のなかになづみ、現在のものの享楽を貪っている――みな過ぎゆくもの、またわが霊魂を萎えさすもの。然るに私は独語して言った、『明日私はそれを見いだすであろう。それは明らかに顕われるであろう、しかして私は掴むであろう……物みな失せよ、我らはすべてこの空しきものを棄てよう、しかしてひたすら真理の探求にいそしもう……さりながら待て!之らのものもなお楽しくある。之らにも少なからず甘さはある。軽々しく棄つべきでない。何となれば再び立ち帰るは恥辱であるから、云々』と。かように私は言い、かかる風が私の心を吹いて此方彼方に追いやるうちに、時は過ぎた。けれども私は主に帰ることをためらった……福祉の生活を愛しながら、それ自身の住所においてはこれを恐れ、これを避くることによってこれを求めた。女性の手に抱かるることなくば、私はあまりにも憐れであるとみずから思った。しかしてこの
主として彼の母の願いにもとづいて、他の婦人との正式なる結婚がたくらまれた。遂にその人は選ばれた。しかしなお年若きがゆえに二年だけ猶予せられた。
その結婚を妨げざらんがために、今までの情人は強いて彼の脇より引裂かれた。愛着せる彼の心は破れ傷つき血に
もし死と来たるべき審判との恐怖がなかったならば、いよいよ深く肉情の淵に彼は陥ったであろう。ただこの二つの観念はいかなる変化のなかにも彼の胸を去らなかった。そのゆえに彼はエピキュリアンたることを免れた。時として彼は尋ねていった、「もし我らに死がなく、断えざる肉体的快楽の中に生きて、之を失うの恐怖がないならば、何ゆえ我らは幸福でなかろうか、また他の何ものを我らは求めようか」と。肉的快楽の生活そのものの中に如何なる禍いが籠もっているかは、いまだ之を悟らなかったのである。
そのうちに新プラトン派学者の著書が彼の手に入った。かつてはシセロが不朽の智慧の願望に彼を燃え立たせたように、今はプロティヌスが「言」としてのキリストの栄光を彼の前に輝かせてくれた。彼は内なる眼を以て「不変の光」を見た。その光こそは永遠なる「真理」であり、真理なる「愛」であり、愛なる「永遠」であった。これを見て彼は怪しき昂揚をおぼえた。神の美は彼を高めたのであった。しかしやがてまた幻滅は始まった。彼自身の重みによりて彼は引下された。この重みは肉の習慣であった。変わらぬ肉の習慣のために神の光より撃ち返されて、又しても元の泥のなかに彼は
再び彼は聖書におもむいた。殊に使徒パウロを精読した。しかしてこのたびはもはや躓かなかった。神の恩寵の讃美は新しき望みを彼に起こさせた。ただに山の頂より平和の郷を望見するのみならず、そこにまで導く途のあることを彼は知った。神のみわざを
今やみことばは彼の心に膠着した。永遠の生命について疑う所は少しもなかった。しかしながらこの世の生活は依然として動揺そのものであった。古きパン種はなおその心より除かれなかった。女性の愛はなお彼を虜にしていた。彼は既に貴き真珠を発見したのである。まさに一切の所有を売って之を購うべきである。然るにそれが出来ないのである。
アンブローズの信仰の父シンプリキアヌスは神の恩寵にかがやく善き僕であった。行き詰まれるアウガスチンは窮余の策として彼を訪ね、しかしてその深き惑いを訴えた。
談はたまたま彼が読みたる新プラトン派著書の翻訳者なるビクトリヌスの事に及んだ。この人の回心の経験をシンプリキアヌスは語りはじめた。彼は親しくこの人を識っていたのである。
ビクトリヌスはいわゆる自由科学の権威であり、多くの元老院議員たちの
然るに熱心なる聖書の研究ののち、彼は密かにシンプリキアヌスに書を送っていった、「私は既に基督者であると承知せられたい」と。後者は答えた、「キリストの教会の中に君を見るまで私はそれを信じない、また君を基督者の中に算えない」と。「然らば壁が基督者を造るのか」。このようなる問答が幾たびか繰り返された。
突然、かれはシンプリキアヌスに言い込んだ、「教会に往こう、私は基督者になりたい」。
当時新たに信仰の生活に入る者は、教会の高壇にのぼり、全会衆にむかって信仰の告白をなすの定めであった。ただ心よわきもののために更に隠密なる方法が許された。ビクトリヌスの告白の時は来た。長老たちは彼にも特別の計らいを申し出た。しかし彼は聴き入れなかった。救いならぬ修辞学をさえ自分は公然と表白して来たものを、まして神の言を
彼は進み出た。会衆のうち誰ひとり彼を知らぬものはなかった。口より口へ、低きささやきは伝わった。ビクトリヌス!ビクトリヌス!姿いよいよ現われるやたちまち歓呼の爆発があった。忽ちまた
その後ジュリアン帝の代にいたり、基督者は自由科学または雄弁術を教授することを法律によりて禁止せられた。ビクトリヌスは職業のために信仰を変えなかった。彼は神の言を選んでこの世のものを棄てた。
この物語を聴いてアウガスチンはいたく感動した。ビクトリヌスは恵まれたる者であると彼は思った。彼の得たものを自分も日夜なげき求めつつあるのである。しかもおのが鉄鎖に縛られて動くことが出来ないのである。例えば甘き睡りを続けたものが、外よりの刺戟を受けて起きようと努めながら、なおも重き睡気に圧されてまどろみつづける様にも似ている。神は真理を以てアウガスチンに迫った。彼はそれに応じて
ある日かれと同郷の人にして宮廷に高官を勤め居るポンチチアヌスという基督者が訪ねて来た。彼は卓上にある一書を取り上げて見て、それが意外にもパウロの書であることを怪しんだ。やがて彼は当時基督者仲間にいとも名ありしエジプト僧アントニーの事どもを話し始めた。
それはトリエルにて皇帝が競技に耽っていた或る日の午後の事であった。ポンチチアヌスほか三人の宮内官は二組に別れて近郊を散歩した。その一組は或る小屋に立ちよりアントニーの伝記を見いだした。
しかし今ひとりの者も彼を棄てはしなかった。
聴き居るうちに、アウガスチンは自分の姿が背後より眼前に引きいださるるを覚えた。いかに醜く、いかに曲れる、いかに穢れたる姿よ。彼は見て慄然とした。しかしてあたかもこれを見ざるもののごとく、之に瞬きして、之を忘れた。
「しかし今私はそれら癒されんがために自己を全く汝に委ねたという健全なる情感の人々を愛すれば愛するほど、彼らに比べて一しお私自身を憎んだ。そはわが十九歳のときキケロ(シセロ)のホルテンシウスを読んでまじめなる智慧の愛に動かされて以来、すでにわが齢
かく日々にためらいつつも彼はみずから弁解して、進むべき途が未だ明らかならぬ故であると言っておった。しかしもはやその口実も空しくなった。彼の良心は今や彼を責めていった、「なんじの舌は今何処にあるか。見よ、彼らその途の探索に労することもなく、之が考慮に十幾年を費すこともなかりし人々が、既にその肩を軽うして飛び去るべき翼を受けたではないか」と。彼は内に歯がみした。恐るべき恥辱のために心いたく惑乱した。言い得べき限りの事を自らに向かって言った。鞭をあげてひたすらにその霊魂をうった。それでもなおたじろぐのである、拒むのである、ただしもはや
そのときアウガスチンの内的闘争は烈しくあった。遂に
かつ煩いかつ悶えた。彼の骨はみな叫んでいった、「速やかにみこころに従え」と。しかし鎖はなお破れなかった。微かながらなおそれは彼に
「私の古き情人なるかの虚の虚、空の空は、なお私を捉えた。彼らは私の肉の裳を引きとめて優しくささやいた、『なんじは我らを棄て去るのか。その時よりして我らはもはや永久に汝と共にあり得ないのか。その時よりして此事彼事は永久に汝に許されぬ事となるのか』と。しかしてここに私が『此事彼事』というところの事を以て彼らの暗示したものは何か、何を彼らは暗示したか、ああわが神よ。ねがわくは汝の憐憫のゆえに汝の僕のたましいよりそれを斥けたまわんことを。如何なる汚穢、いかなる恥辱を彼らは暗示したか。今私は半ほども彼らに聴かない、彼らも自らをあらわに示して私に逆らうことをせず、ただ私の背後にありてつぶやき、去りゆかんとする私をひそかに引きとめて、ただ彼らを顧みさせんとするに過ぎない。しかもなお彼らは私を妨げたのである。しかして私は自由に彼らと断絶しておのが呼ばれし所に飛びゆくことをためらった。烈しき習慣が私にいった、『なんじは彼らなしに生き得るとおもうのか』と。
さりながら今やその声もいと微かになった。何となれば私が顔を向けながら往くに
アウガスチンの霊魂の隠れたる底より、彼自身の浅ましさが悉く現われいでて、彼の目のまえに積み累なった。そのとき力づよき嵐は起こり、涙の驟雨は烈しくそそいだ。彼は更に人を避けて、或る無花果の樹の下に倒れ伏し、心ゆくばかりに涙した。彼は叫んだ、「しかしてなんじ、ああ主よ、何時までか、何時まで、主よ、なんじは限りなく怒りたもうか。わが先の答を憶えたもうな。何時までか、何時までか。『明日また明日』か。なにゆえ今ではないのか。なにゆえこの時わたしの不潔は終わらぬのか」。
かように烈しく心くずおれて呼びかつ泣いていたとき、隣家よりひびきくる或る声を彼は聞いた。子供の唱歌であった。繰返し言うには、「取上げて読め、取上げて読め」と。それは彼のために特別に意味ある声としか思われなかった。涙の滝つ瀬を抑えて彼は起った。しかして往いて聖書を取りあげ、開いた。まずその眼の落ちし章節を沈黙のままに読んだ。いわく
宴楽、酔酒に、淫楽、好色に、争闘、嫉妬に歩むべきにあらず。ただ汝ら主イエス・キリストを着よ。肉の慾のために備 すな。(ロマ一三の一三、一四)
もはやその後を彼は読もうと思わなかった。また読むにも及ばなかった。何となれば直ちにこの句の終わりにおいて、晴朗の光が彼の心にさし入り、すべての懐疑の暗黒を逐い払ったからである。アウガスチンは今や新しき衣のごとくにキリストを着たのである。しかしてその故に、さしも長らく彼を苦しめたる肉情の縄目は遂に見事に断ち切れたのである。
「ああ主よ、私は汝の僕である。汝の僕にして汝のはしための子。汝はわが縄目を断ち切りたもうた。感謝の祭物をこそ私は汝に献げよう。わが心わが舌をして汝を讃美せしめよ。然り、わがすべての骨をして言わしめよ、主よ、誰か汝に比ぶべき者があろうかと。しか言わしめよ、しかして汝わたしに答えて、わが
二 『懺悔録』に現われたるモニカの信仰生活の進展
人類が永久に記念して忘れないであろう所の女性のひとりに、アウガスチンの母モニカがある。彼女は珍しき信仰の婦人であった。しかしながら彼女の信仰生活にも勿論進展の歴史があった。我らは『懺悔録』の随所に現わるる片鱗によりて少しくその跡をたどることが出来る。
アウガスチンがなお年少にして悪しき仲間とともに「バビロン」(世俗的腐敗の都)の街を歩み、香料香油の床にまろぶがごとくその泥土の中に転んでいた頃、モニカはいまだ俗臭を脱せぬ基督者であった。彼女は既に「バビロンの中心より逃れ出た。しかし更に徐々とその
しかしながら一両年の後、アウガスチンが邪教マニ教に帰依して、次第に神より遠ざかり霊的暗黒の深みに陥りゆくを見るに及び、彼女の胸はいたく痛んだ。世の母たちがその子どもの肉体死を
或る夜、夢に彼女はみずから一つの木製定規の上に立つを見た。ここにひとりの輝かしき青年が来て、彼女にむかい楽しげにほほえんだ。彼女自らは悲しみに沈んでいた。何ゆえ悲しむかとの問いに答えて、その子の滅亡を歎きおる旨を彼女は告げた。彼は言った、「安らかにあれ、見よ、なんじの在る所に彼もまた在る」と。見れば、同じ定規の上にアウガスチンは立っていた。
悲しみの心は慰めを得た。彼女は祈りのついに聴かるべき日あることを信じた。しかしてその子に復帰を許した。
また或る監督の許にゆいて、誤れる己が子に面接説服せんことを彼女は願った。監督は聡明にも答えていった、「しかし暫く棄て置けよ、ただ彼のために神にいのれ。彼は読書によって、その誤謬の何たるとその不虔のいかに大なるとを、自ら発見するであろう」と。同時に彼は告げて言った、自分も少年のころ、迷える母のためにマニ教に渡され、唯にその書を読んだのみでなくまた殆ど凡てを筆写したことがある、しかし誰からも説かれずに、その教えの迷妄をさとって遂に之を避けたと。さりながら彼女は満足しなかった。しかしてなおも執拗に、涙をそそぎながら、相会って言い聞かせんことを歎願した。監督は少しく不興気にいった、「往け、かかる涙の子が滅びることは有り得ない」と。この一言は彼女に天よりの声と聞えた。すなわち深く之を胸に蔵めて、いよいよ信頼を堅くした。
年は来たり年は去った。しかし迷える子がたち帰りて母と同じ定規の上に立つべき気配は少しも見えなかった。アウガスチンは早や二十有九歳に達した。カルタゴの学生らの風儀を嫌いし彼はロマに移ろうと欲した。モニカは悦ばなかった。家を出でしその子を追って彼女もまた海辺に往いた。連れ帰るにあらざれば共に往かんとてである。しかし子は母を欺いた。ひとりの友人が順風を得て出帆するまでは去りがたいと彼は偽り告げた。かくてもモニカは独り帰るを
モニカの祈りは聴かれない。涙の子はただ滅びにむかって進む。神は彼女の涙を見過ごしにしたもうのである。しかしながらモニカは失望しなかった。彼女はどこまでも憐憫の父を信じた。故に変わらず歎きと涙とを以て祈りつづけた。
しかして彼女の心をひとえに神に向けしめたものは実にこの聴かれざる祈りであった。聴かれねばこそいよいよ依り頼むの他を彼女は知らなかったのである。涙の子を
幾ばくもなくモニカはアウガスチンを追って海陸を越え、遠くミランにまで赴いた。海上風荒れ浪は高くあった。旅客は勿論、船員たちさえ恐怖をいだいた。ただ信頼ふかきモニカは或る幻を得て、航海の安全を疑わなかった。しかして女性の身を以て却って彼らを慰め励ました。
往って彼女はその子の悲しむべき危機にあるを見いだした。そは彼はもはや真理の発見について絶望していたからである。但し過去九年の迷謬マニ教より彼の既に離れたことを知るは、彼女にとって大いなる慰めであった。彼女は既に彼を精神的死者と見ておのが思想の棺台の上に運びながら、神が何時か寡婦の子にむかい「若者よ、起きよ」といって之を起きかえらしめ、しかして母の手に
ミランの監督アンブローズに於いて彼女は善き指導者を見いだした。或る時彼女はアフリカの習慣に従い菓子パン酒などの祭料を携えて教会に往き、すげなく門番に拒絶せられた。彼女の側には多くの申分があった。しかしその処分が監督の命によることを知るや、彼女は処分の是非を批判せずして直ちにおのが習慣を責め、いと
彼の結婚問題について彼女の取った態度は私には腑に落ちない。何故にその十数年の伴侶たりし婦人との当然なる結婚を彼女は勧めなかったのか。ひとりこの問題については、彼女は不思議にも神の明瞭なる啓示を待たずして行動した(『懺悔録』六の一三)。それは恐らく彼女の信仰の生涯における最大の失敗であろう。
彼女にかかる失敗はあった。しかしながら神には失敗も違算もなかった。時は遂に来た。涙の子は遂にキリストに帰った。無花果の樹かげの出来事を聴いたときに、「彼女は歓喜のために躍り、勝ち誇り、しかして我らの求むる所思う所よりもいたく勝る事をなし得る者を祝福した」。そは彼女の古き夢は充たされて、その子は果然、信仰の「定規」の上に彼女と共に立ったからである。涙とともに播きしものは豊かなる
数ヶ月の後、彼らは新しき奉仕の生活に入らんがために、アフリカを指して帰途に就いた。タイバーの河口オスチアまで来て船出を待った。或る日、母子ふたり庭にのぞめる窓に倚りながら、静かに語り合った。
ふたりの霊魂は怪しくも
母は言った、「子よ、私としては、最早や
更に五日ばかりを経て、彼女は熱病にかかった。一時は失神の状態に陥った。気づいてのち子らに目をとめて言った、「此処に母を葬れ」と。アウガスチンの弟は、母がかかる異国に於いてでなく故郷にて死なんことを望む旨を語った。彼女は心配げに目にて彼を制し、しかして言った、「この身は何処へなりとも置くがよい。さる事のためにいささかも思い煩うべきでない。ただ一つ私は望む、なんじら何処にあるとも主の祭壇にて私を憶えるように」と。出来るだけの言葉をもてこのおもいを表わし、しかして沈黙を守った、募りゆく病苦に煩わされて。
おのが埋葬の場所如何は、今までかなりに彼女の関心事であったのである。即ち夫の傍に葬らるることを彼女は望んでいたのである。しかし何時しかそれも問題にならぬほど彼女の心は満たされていた。同じころアウガスチンの留守中彼の友人たちが、かくも故郷より遠き所に身を遺しおくを不安には思わぬかと問うたときにも、彼女は答えて言ったそうである、「神に遠いものは一つもない。また世の終わりに、神が私を何処より起こすべきかと迷いたもう筈があろうか」と。
かくて後四日ばかりにして、この信仰の婦人は世を去った。彼女の五十六歳のとき、アウガスチンの回心の翌年であった。
モニカは通常祈りの婦人として知られる。まことに彼女はそれであった。しかしながら祈りは祈りのゆえに貴くない。ただ信頼より湧きいづる祈りのみが貴い。モニカのモニカたる所以は、祈祷になくして信頼にあった。はじめ多少の俗臭を帯びたる彼女の霊魂は、その子の堕落のゆえに限りなく砕かれた。彼女の生命はただ信頼する事にのみあった。しかしてその信頼が一先ず見事なる果を結んだときに彼女の地上における使命は成就して、モニカは召されたのである。彼女のごときはいわば信頼せんがために生きたる婦人であった。
三 『懺悔録』を復読して
十幾年ぶりにアウガスチンの懺悔録を復読した。それが全く新しい書として現われたのに驚いた。
前に読んだときには何しろよく分らなかった。著者の内的生活が自分にしっくりしない上に、その神についての思索やその記録の真実味などが、自分にとっては或いはもどかしく或いは多少疑わしくさえ感ぜられた。
然るに今度はどうしたものか、開巻の初めからその一言一句がひしひしと自分の胸に訴えた。著者の簡潔なる言い表わしの下に無限の真理が展開せられているのを自分は見た。心の深いところに断えざる共鳴のひびきがあった。いつの間にか自分の呼吸が著者のそれにぴったりと適合して、人の著書を読んでいるのか自分の告白を聞いているのか分らなくなってしまった。七月初めからただこの一書に自分は読み浸った。朝起きてすぐそれを読んだ。寝る前に必ず読んだ。外出のときには携えて電車の中で読んだ。始めから読み、終わりから読み、中から読んだ。或る部分は三回四回五回読んだ。読む毎にアンダーラインが殖えて遂に全頁を黒くしたところも少なくない。自分の用いたのはピウゼー訳である。確かに名訳である。訳者に霊感なくして之だけの訳文は綴れない。しかし自分はどうしても原文で読まずにはいられなくなった。到底得られまいと覚悟しながら書店に往って見た。偶然その一本を手にし得た時の喜びは口で表わし得ない。二十年間棄ておいたラテン語の復習を始めた。神は早晩自分の願いをかなわして下さるであろう。大いなる期待に胸がおどる。
それにしても何という貴い本であろう。一つの霊魂が神に帰るまでのさまよい、その罪ふかさ、その憐れさ、そのいじらしさ。之をみちびく神の限りなく深き心づくし。実に人生とはどれだけ厳粛な実在であるかがよくここに窺われる。かつまたその言い表わし方。一切を神の前に、一切を神との関係において、一切を神のために。これが本統の態度である。人が物を言うときには先ずこうあるべきなのである。幾千万とも数えがたき書物の中にただこの一書においてのみ(勿論聖書は別)霊魂の発言として最もノーマル(正規)な声を聴くことが出来る。今度これを読んだときに自分のたましいは故郷に帰ったような気がした。多くのアウガスチン学者が懸念する
一通り読み終ったときの感じ――神様がこの本を自分に見せて「これはお前の書いた本ではないか」と。自分は驚いて読んでみたら、確かにそうであった。もう一つ――もし人類が天の使いたちにむかい、見よ我々の社会にもこんなものがと言って示し得る書物があるとしたら、それはダンテ神曲とアウガスチン懺悔録とであろう。
この書の著者の霊に平安あれ、祝福あれ。この書の読者の心に光明あれ、生命あれ。
〔第八六号、一九二七年八月〕
第四 フランシス研究
一 フランシスに於ける清貧及博愛の宗教的意義
アシシのフランシスは清貧の聖者として知られる。すでにダンテもその不朽の詩において彼を歌っていった。
そは、快楽 の門を誰しもこれに
開かぬこと死に似たる「貴女」のため
若く、かれは父の怒りを犯し、
かくてその霊の法廷のまえに
父のまえに、彼女と相むすびて
日に日にいやあつくこれを愛した。
*
しかし進みゆくに暗 過ぎぬよう
わが繁き語におけるこの愛人らを
今よりフランシスおよび貧とは知れ。
ジオットもまたアシシの或る壁画に、フランシスがその新婦の手に指輪をはめ居る様を描いたという。新婦は薔薇の冠を戴いてはいるが、貧しき衣をまとい、足は石に傷つき荊棘に裂かれている。
かくのごとくにフランシスと貧とを愛人の関係として見ることは、詩人や画家の想像に始まった事ではなかった。それはフランシスみずからの創意であった。彼がなお若かりし日、その武人たらんと欲する願いは病気のために挫かれたが、同時に彼は今までの生活の態様を一変してしまった。友人たちは屡々元の享楽に誘ったけれども応じなかった。誰いうとしもなく、フランシスには愛人が出来たのであると噂せられた。それを聞いて彼は言った、「まことに私は妻を娶ろうとおもう。それは諸君が想像し得るよりも更に美しき、更に富める、更に純なる婦人である」と。
フランシスはいかにして斯くも貧を愛するに至ったか。すべての初恋物語と同じように、その消息は秘められていて知る由もない。何れにせよ、彼はこのひとりの貴女――誰しもこれに快楽の門を開こうとせぬこと恰も死におけると均しき――を獲んがために、あらゆる犠牲を払った。ダンテの歌った通り、そのために彼は父の怒りをも犯した。父は家名の辱しめらるるを怒り、彼を捉えて鞭うち、かつ古き階段の下の暗室に彼を押籠めた。その決意の動かしがたきを見、かつは同情のあまり、母は父の留守中に彼を解き放った。帰り来て父はいたく怒った。直ちに跡を追って聖ダミヤンの小さき寺院に突進した。しかしてその息子に勘当を宣告し、アシシの僧正のまえ(「霊の法廷」)にて相続権抛棄の誓いをなさしめた。フランシスはすべてを受入れた。そればかりでない、彼はまとえる外衣をさえ脱いで父に返納した。僧正は
フランシスは遂に貧を娶った。しかして日に日にいやあつく彼女を愛した。もはやわが
そののち同志のもの相加わり、一つの教団を形つくるに至っても、この主義を変えることはなかった。フランシス派修道僧は個人としても兄弟団としても、一切、物を所有しなかった。彼らは小児の如くに生計の配慮を忘れてさまよった。彼らは伝道すると共に労働した。例えばフランシスが自己の円卓武士のひとりと呼んだところの兄弟エジヂウスのごときは、ブリンヂシに於いては水を運び、アンコナに於いては籠を造り、ローマに於いては薪を売った。但しいかなる場合にも彼らは金銭を受けなかった。またもし何かを持つことあらば、進んでこれを乏しき人に施した。フランシスみずから或る時外套を贈られ、上衣の上に着ていたが、途にして乞食にこれを与えた。
死にいたるまでフランシスはそのともに忠実であった。もはや最後の近きを知るや、彼はおのが屍を横たうべき柩として、愛する者なる「貧」の懐よりほかのものを願わなかった。即ちその身を
輝く魂 は彼女の懐より
いでておのが国に帰らんとねがい
その身に他の柩を願わなかった。
貧と共にフランシスの生活を彩る今一つの顕著なるものがあった。それは愛である。若き時より彼は同情ふかき人として現われた。乏しき者に
幾程もなくかれは或るらい病院に入りて不幸なる人々を助けた。後また一切のものを棄てたとき、最初の行動の一つは、再びその同じらい病院に入り看護する事であった。先には美服をまとって来しところに今は
死に臨みて宣べたる遺言の中にいう、「私が罪の絆に縛られていたとき、らい病の人を見るは苦く厭わしくあった。しかし主は私を彼らの中に連れゆきたもうて、私は彼らに憐憫を為した。しかして彼らを去る時には、先に苦く厭わしく見えたものが、大いなる甘美、慰安に変わっていた」と。
彼はすべての棄てられし人を求めた。いかなる悪疾の中にも神の像を見いだして、その人を愛した。
然のみでない、フランシスの愛はなおもゆたかに溢れて万物に及んだ。すべての造られしものの要求に彼は触れた。動植物をも無生物をも各々その理想の姿に於いて彼は眺めた。或る時かれの周囲につどう小鳥にむかって彼は呼びかけた、「小さき姉妹たちよ、なんじら造りぬし神の恩を蒙ること多ければ、到るところ常に彼を讃美せよ。彼はなんじらに思うまま飛び翔るの自由を与えたもうた。また二重三重の衣を与えたもうた。かつまた汝らの種をノアの方舟の中に保ちてなんじらの種族の滅亡を防ぎたもうた。更になんじらのために備えたまえる空気について汝ら深く彼に負う。殊になんじらは播かずまた刈らぬゆえ、神はなんじらを養い、流れや泉を飲料に与え、山や谷を
有名なる「太陽の歌」(或いは「被造物の歌」)に於いて彼は太陽、月、その他の無生物をさえ兄弟姉妹の名を以て呼んでいる。フランシスの口よりこの呼び名を聞くとき、何人もそれが尋常の形容であるとは思わない。
かくのごときがフランシスの面影であった。自己については清貧、他に対しては博愛。貧は彼のともであり、愛はその独子であった。彼のあるところに必ずこの二者はあった。然らば貧と愛とは彼の信仰生活の上に何ほどの意義を有したのであるか。中世(および現代)の多くの基督者のように、フランシスもまたこれらの行為によって神に義とせられんことを欲したのであるか。彼は貧と愛とを自己の功績に算え、これに頼って神の前に出ようとしたのであるか。言い換えれば、フランシスはその清貧博愛の生活に於いて、天国を
もしそうであるならば、私は明らかに言う、フランシスは大いなる間違いをなしたのであると。よしその貧がいかに清くあろうとも、その愛がいかに深くあろうとも、之を己の義として神の前に立つるに至っては、赦されがたき不遜の罪である。神は是の如き献物を受け給わない。却って之を斥け
この問題は
しかしながらその故に彼の生涯を以て行為による義の追求であったと見ることは出来ない。フランシスの貧といい愛といい、之を何らかの目的に対する道徳的手段と見るには、余りにも自然であり、必然であった。彼は商人のごとくに貧を資本に商売したのではない。まことに彼は貧を恋したのである。貧しき生涯ならずしては彼に適わなかったのである。愛もまたそうである。愛することの酬いに何かを獲ようと彼は望まなかった、愛することその事が報酬であった。愛せずしては生くるに甲斐なきを彼はおもったのである。貧も愛も彼には努力ではなくして趣味であった。外より迫らるる
この趣味とし生命としてのフランシスの貧と愛とは、一つには彼の性格にも基づいたであろう。確かにそうである。なお若き頃よりすでに彼は貧を妻として娶らんことをおもい、また
然り、キリストの霊感である。救われんが為に
けだし信仰の途はキリストと共に死に、またキリストと共に生きるの途である。キリストはみずから世に死んだ。十字架はその死の総括であった。しかし十字架に上る前よりして彼は日々に死につつあった。始めに神の
しかし死は信仰生活の半面に過ぎない。その他の半面に生がある復活がある。キリストは死にてまた復活した。その死にたるは復活せんがためであったと言い得る。何となれば復活のキリストにして初めて多くの人に生命を与え得るからである。彼が貧しき者となったのはその意味に於いて人を富まさんが為であった。「これ汝らが彼の
我らはフランシスの信仰にも思想にも行動にも中世風の迷謬が染っていたことを認める。しかしそのキリストの霊感による貧と愛との徹底的なる実行に対しては、歎美を禁じ得ないものである。我らは彼より学ぶ所がなくてはならない。
二 フランシスは禁慾主義者なりしか
中世の文化を織り成せる
僧院主義は古く第四世紀の頃から発生した。その起源は異教の禁慾的思想にあった。即ち肉体を本来悪なるものと見て之を征服する事により霊魂の自由を得んと欲する観念である。それが基督教と結び付いて、神との交通を寂しき荒野の僧院に求めんとする僧院主義として現われたのである。
フランシスを僧院主義の最大なる代表者として考えるとき、我らは当然彼の禁慾主義を予想する。また彼の言行の中にこの予想を裏書するものがないではない。
しかしながら彼の生涯を大観するに、我らは禁慾主義と相反する色彩の甚だ顕著であることを見る。
フランシスは禁慾主義者のごとく厭世悲観の徒ではなかった。却って彼の人生は歓喜の人生であり、彼の宗教は歓喜の宗教であった。彼は灰色の衣に縄帯を締めながら、途ゆくとき屡々高らかに歌った。それは内なる歓喜の自然の発露であった。その若き日よりいわゆる
彼は飢渇又は鞭打によっておのが身をさいなむような事をしなかった。彼は言った、「厳しき痛悔によって身を滅ぼせるものは、果たして永遠の福祉に与かり得るか否かを私は疑う」と。勿論祈りのために断食はした。しかし或る時は断食のために健康を損える兄弟にパンを持ちゆきて之を勧めた。おおよそ彼の生涯には陰鬱なる自己苛責的憔悴のおもかげを見ない。
彼は世を避けて僧院にひそむを理想としなかった。人と断ちて専らおのが霊魂の安全を図るがごときは彼には思いよらぬ事であった。まさしくその反対に、フランシスの目標は僧院より世へであった。彼はおのが霊魂にも劣らずすべての悩める人々をおもった。真実なる生活は少数同志に限らず万人に妥当であるべきを彼は信じた。故に従来の僧院主義の退嬰的態度を棄てて、彼は最も痛快なる進撃的態度に出た。フランシスは万人を悉く彼のごとき僧徒たらしめ、世界をさながらに一大僧院化せんと欲した。何となれば彼は貧と愛との生活が人の真実なる生活であることを信じたからである。この理想のもとに生まれたものがいわゆる第三教団(the Tertiaries)である。それは世のあらゆる男女をしてその家庭と職業との中に留まりながら貧愛の生活を実行せしめんとするの試みであった。誠に雄大なる理想である。我らはここに凡ての基督者を祭司と見るところの宗教改革の思想の先駆を見る。フランシスの生活はその宗教的意義に於いて近世清教徒のそれと多く異ならない。
斯のごとくにしてフランシスは僧院主義をその理想にまで引上げ、之に新生命を吹き込んだのである。彼を旧来の禁慾主義者と同視するは甚だ当らない。
〔第八八号、一九二七年一〇月〕
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