世とその欲

藤井武 Takeshi Fujii

第一 世とその欲とは過ぎゆく

なんじら世をも世にあるものをも愛すな。人もし世を愛せば、父を愛するの愛その衷になし。

世、即ち不信の社会全体(Kosmosは宇宙を意味し、或いは人類を意味し、或いは特に不信の社会を意味する)またその中にある諸々の美しきものを、基督者は如何に取扱うべきであるか。実際我らは屡々ここに心ひかれるのである。我ら近代人は屡々信仰と芸術との調和を夢みる。イエスの足跡を踏みつつギリシャ主義の美的生活を実現することは出来ないものか。もし日々におのが十字架を負うべくあらば、黄金に真珠をちりばめしものもまた善くはないか。不信の社会なればとて一概に之を排斥すべき理由はない。その中にある所の美しきものまでみな之を罪の端くれの如くに呪わんとするは、何たる狭き精神であろう。我らは世のものたると否とを問わず神の与えたもう凡ての悦楽を感謝して享くべきである、しかして限りなく自己を育て上ぐべきである――と。此の種の思想の傾向に共鳴を感じない基督者が今日果たして幾人あるか.

しかしながらこれ実は小ざかしき考え方である。聖書は断じて斯の如き思想を認容しない。この問題についての聖書の発言は常に簡単明瞭である。使徒ヨハネがここに言うとおりである。曰く「なんじら世をも世にあるものをも愛すな」と。愛するなかれである。世と世にあるものとに対して我らの取るべき態度はこの一言に尽きる。たとえ如何に真実らしき理由があってもいけない。世と妥協するな、世の精神に倣うな、世の習慣を採用するな、世の喝采を求めるな、信仰を芸術のくびきにつなぐな、ギリシャ主義の風をしてシオンの山の上を吹かしめるな、すべて世とそのものとを愛するな!

何故?理由をくどくど説明するまでもない。世を愛する心そのものが最上の説明である。疑うものは自ら世を愛して見よ。不信の社会と慣れあいて見よ、そこに円満なる交際を続けて見よ、帝劇又は帝国ホテルなどに頻々と出入りして見よ、盛装の異性と共に踊りて見よ、新聞界雑誌界に自己宣伝を試みて見よ、論文を提出して学位を得て見よ、新時代の花形と謳歌せられて見よ、芸術味ゆたかなる家庭を作りて見よ。……それらの事が善いか悪いか私は知らない。ただ一つの事は確かである、すべて斯の如き傾向にあるところの生活には、神をおもう心が決して溌剌と生きていない事これである。私は小さき外側の問題の是非を争う余裕をもたない。踊りたき人をして踊らしめよ。しかしながら彼らをして告白を偽らざらしめよ。世を愛しつつなお神を愛すると言う者があるならば、私はその人の偽善をにくむであろう。

けだし神の国の趣味と世の趣味とは根本的に相容れない。彼処に貴き事は此処に卑しとせられ、彼処に醜き事は此処に美しと感ぜられる。イエスの教えに逆説の充ち満ちていたのはそのために外ならない。「異邦人の君のその民をつかさどり、大いなる者の民の上に権を執ることは汝らの知る所なり。汝らのうちにては然らず、汝らのうちに大いならんと思う者は汝らの役者えきしゃとなり、かしらたらんと思う者は汝らの僕となるべし」(マタイ二〇の二五―二七)。世の大は神の国の小であり、世の賢は神の国の愚であり、世の光栄は神の国の恥辱である。実に二つの世界のプログラムは全体に於いて相矛盾する。我らは必然いずれの世界かに対して異邦人とならねばならぬ。「我らの国は天にあり」と言い得る者は、世にある「凡てのものを損なりと思い、彼(キリスト)のために既に凡てのものを損せしが、之を塵芥のごとく思う」(ピリピ三の八)。之に反して我ら世を愛するとき我らは事実上神の国の異邦人である。その律法は一つとして我らの心にふさわない。すべてが何とはなく奇怪である偏狭である峻烈である。かくて神を愛するの熱心は我らの衷に漸く衰え、遂に全く消え失せる。

おおよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇りなどは、父より出づるにあらず、世より出づるなり。

世にあるものは多い。その中には甚だ高尚に見えるものも少なくない。屡々我らの心惹かれる所以である。しかし高尚らしく見えるものの実質如何。おおよそ世にある一切のものは、之を三種の範疇に大別することが出来る。肉の慾、眼の慾、および所有の誇りこれである。

肉の慾は世にあるものの第一である。飲食の事、生殖の事、衣服の事、住宅の事、これらに勝りて世の人の心をそそぐものはない。社会問題といい、性の問題といえば、ほぼ現代社会の問題を尽くすのである。

しかして肉体の要求必ずしも悪しくない。肉体そのものは聖い。それは神の造りたまいしものである。それは霊魂と共に人の生命の要素である。それはまた聖霊の宮として神の栄光を顕わすべきものである(前コリント六の一九、二〇)。故にキリストの救いは霊魂のみに止まらない、必ずやその機関たる肉体にまで及ぶ。「……我らも自ら心のうちに嘆きて子とせられんこと即ちおのが体の贖われんことを待つなり」(ロマ八の二三)。神の創造にして人の生命の要素であり、聖霊の宮たるに適するものにして、霊魂と共に完うせらるべきもの、斯の如きものの要求が始めより悪しくあろう筈がない。肉体の神聖であるが如く、その要求もまた本来神聖である。

ただ神の創造には大いなる秩序がある。万物各々自ら止まるべき地位を有する。その地位に止まり、その従うべき所に従ってこそ宇宙の調和は実現する。秩序一たび紊乱びんらんしては自然は悉く壊れざるを得ない。肉体は聖い、しかしそれは何処までも霊魂の機関である。均しく人の生命の要素であるとはいえ、肉性は霊性の配下に立たねばならぬ。まず神の国と神の義とを求めよ、然らばすべて肉体の要求は適当に満たされるであろう。之に反して、卑きもの却って高きものを支配し、霊魂は肉体の要求の奴隷たるに至らんか、人の生活の穢さ、豚も之には及ばない。肉の「慾」というは大抵この乱れたる要求を意味する。しかして世にあるものの第一は実に肉の慾である。

第二は眼の慾である。眼もまた肉の一部には相違ないが、しかしその職能より考える時、眼は肉よりも寧ろ霊に属する。「身の燈火は眼なり」という。光明は眼より来る。知識と想像、思索と鑑賞、批判と憧憬、すべてそれらの働きを代表するものが眼である。眼の慾即ち精神の慾である。

精神又は霊魂の要求そのものが聖いことは肉体の要求の場合と異ならない。しかしここにもまた堕落したる慾がある。精神といい、心といい思いという、素々もともと何のために造られたのであるか。神を愛せんがためである。故にいう「汝の心を尽くし精神を尽くし思いを尽くして主たる汝の神を愛すべし」と。精神がその奉仕を造り主に致さずして被造物に致す時、精神は淫を犯しているのである。芸術を愛し哲学を愛するはよい。しかしすべてが神のためでなければならぬ。汝の芸術を以て芸術の創造者たる神を讃美せよ。汝の哲学を以て哲学の本源たるエホバの栄光を揚げよ。美は神のもの、真理もまた神のものである。すべては彼のものである。然らば神を忘れて美を慕い、神を斥けて真理を求むる、これ彼に対する盗みでなくして何か。ああ多くの芸術家は芸術と淫しつつある、多くの学者は真理を盗みつつある。眼の慾すなわちここに実現する。

第三は所有の誇りである。慾すでに成れば誇りを生む。肉の慾眼の慾達せられて所有の誇りと化する。学者のひたいに知識の誇り、政治家の肩に権勢の誇り、芸術家の手に美の誇り、ささやかなるものを能くも誇り得ることよ。「なんじのてる物に何か受けぬ物あるか。もし受けしならば、何ぞ受けぬごとく誇るか。」

肉の慾と眼の慾と所有の誇り、すべて世にあるものはこの三者の何れかに属する。世の人の理想は之らのものの外には出でない。しかして之らのものの価値はまず第一にその起源によって知られる。紊乱びんらんせる肉の慾は何処から出たのか、淫蕩なる眼の慾は何処から、浅ましき所有の誇りは何処から出たのであるか。父なる神からでない事は確かである。何となれば、斯の如きげられたる本能、濫られたる自然、損われたる秩序は、神の性格の中に絶対に場所を見出し得ないからである。神からではない、世からである。おおよそ世にあるものは世の産物である。かくて彼らは相互に堕落を証明しあう。

世と世の慾とは過ぎゆく、されど神の聖意みこころをおこなう者は永遠とこしえとどまるなり。

世よ、また之に属する慾よ、汝らは確かに大いなる勢力である。汝らは屡々強く神の子たちの心を誘う。汝らに誘われて遂に神を棄てし所謂背教者は昔から決して少なくはない。汝らは確かに大いなる勢力である。

しかしながら如何に大いなる勢力であるにもせよ、汝らは既に運命づけられてあるのである。汝らは過ぎゆかねばならぬ。汝らは滅びねばならぬ。キリスト再び来ます日、不信の世はその中にある所の肉の慾、眼の慾、所有の誇りと共に、悉く審かれねばならぬ。世の人が幸福と呼ぶ所のものはその日までである。その日、世は世として、慾は慾として、誇りは誇りとして、みな適当なる最後の待遇を受ける。

ひとり最後の問題のみであろうか。現に我らが世とその慾とを味わうときに之が予感を経験するではないか。肉の慾、眼の慾、所有の誇りを満たす者にして、誰か永遠の生命を握りたるを感ずるものがあろうか。彼等は皆その満足の底に深き空虚感を抱きつつあるのである。世の幸福は何故かは知らず空しきものに感ぜられる。肉の慾眼の慾の満足はいかばかり濃厚であっても暫時的に過ぎない。実にこの言いがたき空しさの感じこそ、すべて世とその慾との満足をくらう苦さである。

世とその慾とは過ぎゆく。我らはそれを予感する。満足そのものの中にさびしさがある。厳粛なる事実である。人の霊魂は世の幸福を以て満たさるべく余りに深い。霊魂は永遠を要求する。しかして世とその慾とは之に応じないばかりでない、却ってその悲哀を一しお切実ならしめる。

世の慾を満たすは空しい。之に反して神の聖意を行うは福いである。そこに永遠なるものの予感がある。僅かに一杯の冷水の給与でもよい。その悦びは消ゆべき性質のものではない。

けだし神の聖意を行う者は彼自身に永遠の生命を有するからである。その行為は永遠の生命の破片に外ならない。彼は自らとこしえに生きる、しかしてその業は彼に従う。「彼が今ある所のものにて彼は後にもあるであろう、彼が今なす所のものを彼は後にもなすであろう。変化はただ現に小事に忠なるものが後に大事を任かさるるに過ぎない」。誠に神のみこころを行うの生活そのものが永遠の生活である。

〔第五六号、一九二五年二月〕

第二 財の問題

一 金を愛するこころ

####(一)

何時の代においてもそうであるが、殊に近代の人々は、総じて或る悪性の病気に取り附かれている。しかも彼らはみずからそれを自覚しないだけに、そのみじめさは一層甚だしい。

病気とは何か。利益を愛するこころである。利慾病である。

その症状は色々の形において現われる。まず第一には、損得の意識の鋭敏さである。今の人々は道徳的正邪の問題については、驚くべく冷淡かつ遅鈍である。屡々社会の指導者階級にある人たちが、時に問題となれる自己の大いなる非行について、「自分はその事の道徳的に正しいか否かを知らない」などと公言するのを聞いて私はただ呆れる。謎にしては余りに真顔であるから。何という恥無さであろう。しかもちょうど此の道徳的意識の鈍感さに比例して、利得もしくは損失という経済的意識においては、今の人々――我ら――はまた余りにも熱心かつ敏感である。我らは事に当たりてじきに打算する。そうしてとにかく損をすまいと努める。もし不幸にして損をせんか、たとえそれがただ一区の電車賃などであっても、「損をしたナ」と忘れず意識するのである(都合のわるき時には小さき虚言の一つぐらいを発しても平気でいながら!)。実に今の人々の口に「損」とか「得」とか「やすい」とか「高い」とかいう言葉がいかに頻繁に上ることよ。殊に無限を慕い永遠をおもうべき青年たちが、事もあろうにこのような発言をなして顧みないのを見るとき、自分は泣きたくなる。

或いは利益提供が人を動かす力の大いさを見よ。現代の社会における最大の実力は何か。勿論正義ではない。言うまでもない。さりとて権力でもない、現代人は国家や上層階級やの権力と闘うには割合に勇敢である。然らば何か。女色か。それは確かに昔ながらの恐るべき勢力ではある。しかしそれにも尚まさって、さながら呪術まじわざのように現代人を動かさでは已まぬものこそ、実に「金」である。金の前には、政治家もない、学者もない、天才もない、処女もない、みな動く。みな買われてゆく。どうだ、あの雑魚ざこよりも安い代議士どものざまは。ざるから笊へと、よくもつらさえ隠さずに!痰を吐きかけてやったとて足りるものでない。また近頃の山師的出版業者に見くびられながら買われてゆく学者ら!何という事であろう。自分の一友人はこれを映画のスターになぞらえたが、しかし本来の俳優ならばまだしもである。いみじくも真理を愛する筈の学者ではないか。ああ、禍いなるかな、なんじらは真理を金に代え、かつは霊魂をさえ売る。ただし汝らの真理はもとより真理ではなく、汝らの霊魂は霊魂でないというならば、それまでの事。

もう一つ、宗教界の事を例に取って見る。殊に基督教界の事。自分はなるべく悪口を言いたくない。しかし事実は蔽うべからずである。見よ、功利的なる牧者の伝道。見よ、功利的なる羊の信仰。見よ、功利的なる教会の福音。

牧者たちはどんな精神を以て伝道しているか。真理の単純なる証明というような気持は薬にしたくもない。念とするはただ結果である。一人でも多くの信者を造ること――名義だけでよろしい――但し自分の教会には属して貰わねばならぬ――ただそれだけの事である。どこまでも結果本位である。動機や手段は措いて問わない。信者製造のためならば何でもする。宣伝もすれば、掛引もする、輿論の後押しもすれば、政府の提灯持ちもする。全く儲けのためには何でもするという商買根性そのものである。今の伝道はみな商買である。「その商品は人の霊魂なり」と聖書にある通りである(黙示録一八の一二、一三)。

牧師が商人ならば教会員もまたそうである。彼らは何のためにキリストを信ずるのか。栄光を神に帰せんがためか。それとも「義のために責められ」「聖名のために辱しめらるるに相応しき者」とならんがためか(マタイ五の一〇、行伝五の四)。断じて否。彼らが主を呼ぶは、ただ自分の煩悶を取去られんがため、ただその病気を癒されんがため、一言にしていえば、何かの利益を得んがために他ならない。利益のための信仰である.すなわちまた商買の一種である。

そうしてそれは無理もない次第である。何となれば彼らの信ずる福音そのものが「功利の福音」であるから。偽の預言者たちは、彼らに媚びんがために、いつも説くのである、いわく「敬虔は利益の途である」と(前テモテ六の五)。かくて牧師も信者もみな教会に集まりて共々に「神の家を商買の家」となしている(ヨハネ二の一六)。

数おおき基督教の雑誌を見よ。いわゆるジャーナリズム即ち雑誌的商買根性がいかに根深くも喰い込んでいることよ。その記事の選択から文句の使い方にまで現わるる「売らんがため」の心づかい!ああ厭らしい哉。もし読者の数を求むべくば、何ぞ去って大衆文芸の仲間入りをせざるや。キリストは彼の名を資本に商買せよとは告げたまわなかった筈である。

商買また商買。宗教も商買である、教育も商買である、芸術も商買である、政治も商買である。この故に既に政商があり、今やまた学商があるという。あに芸商、宗商がなかろうや。まことに我らは問いたい、今の世に商買ならざる何ものがあるかと、または商人ならざる何人があるかと。世界は大きな市場であり、人々はみなバラムの子である。彼らのひとみはいつも利益に向けられている。彼らの耳には断えず金のひびきがある。ああ、金!金!金!鹿の渓水を慕うがごとくに、わが兄弟たちは金を慕う、光る金をぞ慕う!光る金をぞ慕う!

####(二)

もし右のごときが事実であるとしたならば(誰がそれを否定し得ようぞ!)然らばまさに大きな問題ではないか。

まずそれが正常な状態でないという事、すなわち病的であるという事には、何人も異存はあるまい。神を知ると知らざるとに拘わらず、利慾を卑しむこころは人類に固有である。それは我らの良心に鉄筆をもて刻み込まれている。如何なる功利主義の哲学を以てしても、この自然的律法を掻き消すことは出来ない。

試みに一つの場合を仮定して見よう。ここに二人の人がある。甲は正義のために利益を犠牲にして生き(或いは死ん)た。乙は利益のために正義を蹂躙ふみにじって生きた。見る人の目にどちらがノーブル(高貴)であるか。問うまでもない。

次に今一人ありて、この者(丙)は正義とともに、利益をもあわせ完うしたとしよう。然るとき、最も羨望せらるるものは恐らく丙であろう。しかし尊敬のこころに至ってはおのずから異なる。甲と丙とを比べて見ても、尊敬すべきはやはり丙でなくして甲であろう。けだし正義は利益と離れる時にその光が最も強いからである。

このように、人みな生まれながらに利慾を卑しむことを知っている。然るにも拘わらず、自らは大事そうに之を抱いて離さないのは何故か。その大いなる理由の一つは、彼らが未だ利慾そのものの悪性のほどを解しない事にある。

聖書はいう、

それ金を愛するは諸般もろもろの悪しき事の根なり。(前テモテ六の一〇)

何という判然はっきりした、しかも常識的な言い方であろう。金を愛するその事がただに一つの悪しき事であるばかりでない。それだけならばまだ始末がしやすい。しかし問題はもっと遥かに深刻である。我らが愛銭の心をいだく時に、我らは実は恐ろしいものを抱いているのである。「諸般の悪しき事の根!」あらゆる害悪の卵!それが一たびかえるときには、どんな怪物がそこから現われてくるかも知れない。およそ罪または禍ならば、何でもその中にひそんでいるというのである。

そうしてそれは事実ではなかろうか。人は昔より今に至るまで、金のために偽り、欺き、争い、憎み、誼い、虐げ、叛き、裏切り、また殺しつつある。我らは日毎にそれを見聞する。余りにも平凡なる出来事である。けれども惨ましさの限りである。いかに美しい友情がこの一つの虫のために朽ちしぼむか。いかに立派な人格がこの一つの毒のために腐りはてるか。実に吾れ人の胸に金を愛する心があるばかりに、我らの世界の日々に受けつつある創痍いたでの深さは到底人の思いに過ぎて、言いつくすべくもない。

何故に然るか。何故に金の愛はかくも諸般の悪しき事の根であるか。答えていう、金を愛する心は必然神を憎む心であるからである。

人は二人の主に兼ね事えること能わず、或いはこれを憎み、かれを愛し、或いはこれに親しみ、かれを軽しむべければなり。なんじら神と富とに兼ね事えること能わず。(マタイ六の二四)

神か、金か。二つに一つである。我らは何れかを選ばねばならぬ。これを愛しながら、かれにも親しむことは、事実が許さない。なんじ富に親しむか、然らばキリストを軽しめざるを得ない。なんじ金を愛するか、然らば神を憎まざらんと欲するも能わない。バラムをおもえ、ユダを憶え。すでに神を憎む。すでに一切善の根源に叛く。何の悪しき事かそこに芽ぐまなかろう。金ゆえの残酷きわまる罪、慾ゆえの浅ましきかぎりの姿、一つも怪しむに足りない。

或いはいう、しかし十戒第七条の罪のごときは、貪りからは出て来ないと。必ずしもそうは言えまい。利慾と淫行とは決して縁のないものではない。我らはこの両者が屡々一体のように相絡んで同一人格の中に巣くうていることを実見する。現代日本の政治家たちなどがそのき見本である。かくのごときやからを指してペテロはいった。

その目は淫婦にて満ち、罪に飽くことなし。その心は貪欲に慣れて、呪誼のろいの子たり。(後ペテロ二の一四)

この場合において淫慾と貪慾とは姉妹であるか、母子であるか。何れにしてもその関係は極めて密切であって、断ち切ることのできるものではない。実際上、二者はひとしく神からの離反である。従って互いに因をなし果をなす。実に淫貪両慾こそは、人生諸般の悪事の双根である。すべての罪と禍とは、大抵その何れかから出発する。

この故に聖書は我らに対し一方においてしきりに清潔の生涯を薦めると共に、他方においてまた簡易の生活を説いてやまない。

我らは何をも携えて世に来たらず、また何をも携えて世を去ること能わざればなり。ただ衣食あらば足れりとせん。(前テモテ六の七、八、へブル一三の五参照)

これまた平凡なる事実に訴えての大真理である。我らにとって無くてならぬものは何であるか。生まれて来た時のことを憶え。また死んで往く時のことを思え。我らは金を携えて世に来なかったのである。我らは富を携えて世を去ることは出来ないのである。富といい金という、みな我らの存在から離れた外側のものに過ぎない。我らは富なく金なくして生死することが出来る。我らの存在はただ霊魂と身体とにある。霊魂はもとより物資に倚頼しない。また身体のために無くてならぬものは衣食だけである。然らば如何。我にもし寒さ暑さを凌ぐの衣があり、今日一日を繋ぐの糧があるならば、すなわち足れりである。何ぞまた重たげなる金銀を要しようか。文化住宅と海浜別荘、株券債券と銀行預金、山林田野と名什珍器、そんなものが何になるのか。天国の何処にそれを積んで置けるのか。すべて己のために財を貯え、しかして神に対して富まぬ者にむかい、神は言いたもう、「愚かなる者よ、今宵なんじの霊魂とらるべし。さらば汝の備えたる物は誰がものとなるべきぞ」と(ルカ一二の一六―二一)。まことに人の生命いのち所有もちものの豊かなるには因らないのである。我らは所有において富まずして、生命そのものに於いて豊かならんことを欲する。

勿論富はそれ自体において悪ではない。しかしこれを慕うとき、我らの心は必ず神から離れる。故に富まざる者は富まんと欲するなかれ。

富まんと欲する者は、誘惑まどわしと罠、また人を滅亡ほろび沈倫ちんりんとに溺らす愚かにして害ある様々の慾に陥るなり。(前テモテ六の九)

富める者は「惜しみなく施し、分け与えることを喜ぶ」べきである(前テモテ六の一八)。

まことに汝らに告ぐ、富める者の天国に入るは難し。またなんじらに告ぐ、富める者の神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を通るかた反って易し。(マタイ一九の二三、二四)

まことに富そのものは罪ではない。しかし今の世にありて、罪なくして財の蓄えらるる途が果たしてあるか。数えがたきほどの飢える者、凍える者が所在に横たわるとき、ひとり箪笥の中に衣をむしばましめ、長持の中に金銀を錆びさせて、なおかつ晏如あんじょとして在るがごとき者は、まさに人道の敵ではないか。

聴け、富める者よ、なんじらの上に来たらんとする艱難なやみのために泣きさけべ。汝らのたからは朽ち、汝らの衣は蝕み、汝らの金銀は錆びたり。この錆なんじらにむかいて証をなし、かつ火のごとく汝らの肉をわん。汝らこの末の世に在りてなお財を蓄えたり……汝らは地にて奢り、楽しみ、屠らるる日にありて尚おのが心を飽かせり。(ヤコブ五の一―五)

####(三)

以上は広く人道の上から、一般の人についての考察である。しかしこの問題は更にこれを基督者の立場において取扱うとき、一しお厳粛なる意義を発揮し来たるを見る。

基督者とは誰であるか。キリストを信じて彼と結びついた者である。是のごとき者はその生死をキリストと共にする。即ちキリストと共に十字架に釘けられて死に、また彼と共に復活させられて生きるのである。かくてすべての基督者は必ずや一たび此の世に対して死んだ者でなければならぬ。此の世あるいは此の世に属するものに対して全然興味を失った者でなければならぬ。此の事はやがて彼の現在の生命が全く新しきもの、すなわち永遠の生命そのものである事の消極的証明であって、基督者としては根本的の条件でなければならぬ。

しかるに金または富の所属はいづこにあるか。かかる虫くい錆くさり盗人うがちて盗み得るところのものが、勿論天の財宝である筈がない。金は地のもの、富は世のものである。従って之を愛するこころはいわゆる肉の慾または眼の慾の一種であって、純然たる「世を愛するの愛」に他ならない。かくのごとき心術を警めてヨハネは言った、

なんじら世をも世にある物をも愛すな。人もし世を愛せば、父を愛する愛その衷になし。おおよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇りなどは父より出づるにあらず、世より出づるなり。世と世の慾とは過ぎゆく。(ヨハネ一書二の一五―一七)

世と世の慾とは過ぎゆく。これを愛するものもまたともに過ぎゆく。財は朽ち金は腐る。これを慕うほど虚しきはない。かかる人は預言者エレミヤの言ったように、「しゃこのおのれの生まざる卵をいだくがごとく、その生命の終わりに愚かなる者となる」であろう。

果たして然らば、世に不似合なる事とて、基督者の金を愛するがごときはない。これを天の国から窺えば、神の子が永遠の生命をうち棄てて、蛆虫のごとくに糞土をいだくのである。これを地の側から見れば、葬られし死者がおめおめ墓から這い出して来て、再び歓楽の座につらなろうとするのである。いずれの立場よりするも、之ほど奇怪なる、之ほど見苦しき姿はない。

金を愛する基督者よ、なんじらもしキリストと共に十字架にけられて此の世に死んだのであるならば、何ぞなお世に生きをる者のように、朽つべき財に心惹かれるのか。

汝らもしキリストと共に甦らせられしならば、上にあるものを求めよ、キリスト彼処にありて彼の右に坐したもうなり。なんじら上にあるものをおもい、地にあるものをおもうな。汝らは死にたる者にして、その生命はキリストとともに神の中に隠れあればなり……されば地にある肢体、すなわち……むさぼりを殺せ。むさぼりは偶像崇拝なり。(コロサイ三の一―五)

何故に貪るか。何故に金が欲しいか。貧しさを厭うが故か。しかし主は祝福して言いたもうた、

福いなるかな、貧しき者よ、神の国はなんじらのものなり。(ルカ六の二〇)

貧しさの中ならでは経験しがたき祝福がある。殊にキリストの名のゆえに貧しさを選んだ者の為には、彼は特別の祝福を用意したもう。すなわちその貧しさを聖所として、そこに彼はおのが幕屋を張りたもう。貧しさゆえの彼との親しみである。けだし彼みずから「富める者にていましたれど、我らのために貧しき者となり」たもうたからである。貧しき者がキリストと親しむは易い。

然のみでない、我らはすでに神を父と呼ぶものではないか。我らは神の子ではないか。果たして然らば、また何の貧しさぞ。「地とそれに充つるもの、世界とその中に住むものとはみな我らの父のもの」である。そうして我らは彼の「世嗣」である。我らはやがて「地を嗣ぐべき者」。彼のものはみな我らのものである。然り、地とそれに充つるもの、世界とその中に住むものとは、みな我らのものである。父なる神は今も我らのために自由にこれを使用しつつありたもう。

そうではないか。もしそうであるならば、わが親愛なる兄弟たちよ、我らをして乏しき者のごとくに貪ることなく、却って無限の長者の世嗣のごとくにいと裕かなる心がまえあらしめよ。我らのひとりがかつて無産のどん底から力づよく呼ばわったように、我らは「貧しき者のごとくなれども多くの人を富ませ、何もたぬ者のごとくなれども凡ての物を有って」いるのである(後コリント六の一〇)。

さらば友よ、なんじの身分を自覚せよ。しかしてなんじの霊魂よりその古き病を振りおとせ。一切の財宝に対するなんじの関心を今日かぎり世に返却せよ。今より後、痕跡もなく銅臭を棄て去れ。損とか得とかいう語をなんじの語彙より駆逐せよ。たとえどんなに損をしてもいいではないか。キリストは我らのものではないか。友よ、再び孤児みなしごのような物ほしげな容子ようすをするな。むしろ古の詩人とともに呼ばわれ、いわく、

エホバはわが牧者なり、われ乏しきことあらじ。(詩二三の一)

二 大いなるバビロンの商買主義と基督教国の貪婪

ミード(W. W. Mead)の黙示録第十八章註解抄訳

黙示録の第十八章は約そ半を注いで、「大いなるバビロン」の商業的偉大さ及び重要さを生々と描写している。その物語には戯曲的の力がある。此の象徴的都市の商買上の生活と活動とを叙述するに明細委曲をきわめる。疑いもなく一つはこの理由のゆえに、多くの註解者はこれを文字通りの都市の意味に取るのである。すなわち言う、バビロンは再建せられ、世界の商業的首府として、ロンドン又は其の他万国のいずれの都市をも凌駕するに至るであろうと。

しかしこの結論は取るに足らぬと我らは信ずる……すでに前章第十七章のバビロンが文字通りの都市ではないとすれば、本章のそれもまた同じ象徴的の「大バビロン」ではなかろうか。然り、ここに語るは依然として偽の教会である。すなわち「あんち教会」である。そうしてもしそのものと此の世の商買主義との関係さえ正しく理解せられるならば、本章の意味は直ちに明白となるであろう。之を正当に了解し得ぬ所以の大なるものは、我らがこの現在の主義(商買主義)の中に生まれ且つ生い立ったという事にある。我らはそれの法律や慣行に狎れた為に、それをさほど悪しきものとは思わなくなったのである。否、却ってそれ以上に善きものは望まれぬかのようにさえ考えるに至ったのである。すなわち習慣性の故に、また我らが之と親しみ、或いはみずから之に参与し之と提携さえするが故に、そのサタン的起源の証拠が見えないのである。我らの霊的盲目の故にそれの恐ろしい邪悪の大きさに気付かないのである。

世界はこの「今の悪しき世」(ガラテヤ一の四)について誇り且つ楽観している。どちらを見ても人々は「我らの立派なる文明」を謳歌する。しかるに幾百万の人類の崇敬と祈願とを受けるあらゆる偽の神々のうち最も有力なるものの一つは、マンモン(富の神)である。そうしてマンモン崇拝の真髄と精神とは、現代の商買主義において最もよく表われているのである。いうところの「商買主義」とは何か。我らの経済的、社会的、政治的、宗教的、理知的、および娯楽的生活に対するあらゆる無限の関係の中において、商買的の原理と方法とを決定するところの、その主義を意味する。けだし事実として、この商買主義こそは、職業や住居や衣服や食物や社交や教育や文学や快楽や、ならびに礼拝等に関して、すべての文明国の人々の思想と行動とを形づくるに有力なる要素である。商買主義は神の栄光を求めずして、人の中に「肉の慾、眼の慾、生活の誇り」を起こすことを求める.その目的とするところは、この世のもの――その富、その奢侈しゃし、その快楽――に対する飽くなき欲望を醒ますにある。それは情感を神から引き離して、物質的のものの上に置く。もしくは「自然人」すなわちまだ生まれかわらぬ人の血気的生活に仕えるところのものの上に置く。たとえば詩の第二十三篇に描かれるような、神における甘美なる平和と満足との享受から、霊魂を誘い、虚妄にして且つ陶酔的、狂乱的なる歓喜への烈しき追求に之を逐い出すことが、それの目的である。我らは商買または商業的生活にその固有の立場がないと言うのではない。商買そのものが本質的に悪であると考えてはならない。主イエスは自ら工人でありたもうた、またその手の製りしものを金に代えて売りたもうた。しかし今日の世界の商業的生活においては、一切の事が共謀して、神に関する思慮と追求とから心を惑わし、神の与えたまいしものについての不満足を養い、己のたぬものに対する欲求を募らすことを、誰が否定し得ようぞ。最も注意すべきは、すべて之等の事の然る所以は、この神秘的なる淫婦がその背後にありて、それと提携しそれを支配しつつあるが故であるとの事である。

然のみでない。右に語った諸の害悪は、人が好んで「我らの基督教文明」と称えるところのものと特別に合体している。今日の人類生活においては、基督教国以外の何処にも斯のごとき顕著なる特徴はない。その是あるはただ或る国民、たとえば日本のごときが、大いなる世界勢力たらんとの野心をもって同じ「憎むべきものの満つる黄金の酒杯」から飲み干しはじめた所、そうしていわゆる基督教国民が今やその為によろめきつつあるところのその淫行の葡萄酒に酔いはじめた所だけである。

エジプト、バビロン、ツロ、またローマ、いずれもその各自の時代において、同じ「悪優勝」を獲得した。しかしネロ治下の不信邪教の世の悪生活、悪慣行が名目のみの基督の徒――「見える教会」全体――を特徴づけるであろうと、聖霊が告げた通り(後テモテ三の一―八)、今やその時が来たのである。そうしてかつては古代の大いなる世界的勢力の特徴であったものが、今や現代の基督教国をすばらしきまでに支配しつつあるのである。しかも今日この狂気したる永年の酔狂行列の主なる導者たちこそ、実に基督教国たる大国民らである。人を酔わしめるものはただに強き酒に限らない。利益を愛するこころ、商買根性もまた酩酊の一形式であって、しかもその劣悪であり且つ一切善に有害であること、如何なる狂的飲料の酒杯にも劣らない。「これその持ち主をして生命を失わしむるなり」(箴言一の一九)。「それ金を愛するは諸般の悪しき事の根なり」(前テモテ六の一〇)。ユダがその師を裏切ったのは、このバビロンの葡萄酒に酔った時であった。今日同じ師に対する多数の弟子たちの裏切もまた、同じく富に対する渇きにこれを帰することが出来る。金銭の愛は人をして真理の証明に怯懦きょうだ臆病ならしめ、神の誡命への不従順に大胆活溌ならしめる。「金のため」という控訴院においては「全地の審判者」の判決は容易く覆されるのである。

聖書が示すところの悲しき事実によれば、神の預言者たちの陥りし主なる誘惑は、いつも利益の貪りであった。彼らはそのために強いられて、神の真理ならぬサタンの虚偽への証明を立てた。

たとえば、バラムは「不義の報いを愛し」た(後ペテロ二の一六)。

士師記十七章(八―一一)に記さるる偶像の祭司となりし若きレビ人は、実にモーセの曾孫であったらしい(士師一八の三〇)。彼が祖先の神から離れたのもまた金欲しさの故であった。

サムエルの子らは「利にむかい、賄賂まいないをとりて、審判さばきを曲げ」た(前サムエル八の三)。

イザヤ書五十六章乃至五十九章には、イザヤの時代にユダの王国に行われた霊的の暗黒と邪悪とが見事なる絵画に描かれているが、その主なる原因は神の預言者たちを捉えし商買根性にあったと見られるゆえに、一しお我らの研究に値するのである。「野の獣よ、みな来たりて食らえ、林におる獣よ、みな来たりてくらえ。斥候ものみはみな瞽者めしいにして、知ることなし。みなおしなる犬にして、吠えることあたわず。みな夢みるもの、臥しいるもの、眠ることを好むものなり。この犬は貪ること甚だしくして、飽くことを知らず、かれらは悟ることを得ざる牧者にして、みなおのが道にむかいゆき、いずれにおる者もおのおの己の利をおもう。かれら互いにいう、いざ、われ酒をたづさえ来たらん、われら濃き酒に飲みあかん。かくて明日もなお今日のごとく大いに満ち足らわせんと」(イザヤ五六の九―一二)。

邪悪と堕落との闇夜の中における之ら偽の預言者たちの「輝かしき楽観」は、おのが没落の直前なる恐ろしき背教の中における淫婦バビロンの楽観および空想的平安と、よく相通う。

しかもこの事態の責任はただに牧者たちの上にのみ懸らない.民がしかく欲望するのである――然り、彼らはそれを要請するのである(エレミヤ五の三一、イザヤ三〇の九、一〇)。預言者たちはその貪婪のゆえに民衆の要請に従うに他ならない。故にいう、「それ彼らは小さき者より大いなる者にいたるまで、みな貪婪者むさぼるものなり云々」(エレミヤ六の一三)。

以上のごとき情勢はただにイザヤ及びエレミヤ時代の事であるばかりでなく、殊に主の再臨に先立つ日々を預言するものであると、イザヤ書五十九章は教える。されば現代の末期を特徴づけるものもまた、同じ種類の牧者たちであろう。すなわち己の金銭関係については同じ注意ぶかき配慮をもち、そうして同じ致命的の楽観をいだいて、事態を如実に観察する事と、食いかつ散らさんために檻に入りこむ野獣どもに対して群れを警戒する事とには、同じく無能力または無誠意であるところの人々。

新時代の大預言者が語るところもまさしく是と一致する。いわく「末の世に、人々(すなはち名のみの基督者たち)おのれを愛する者、金を愛する者とならん」と(後テモテ三の二)。また「人々は健全なる教えに堪えず、耳痒くして、私慾のまにまに己がために教師を増し加えん」と(同四の三)。「己がために」の語に注意せよ。謂うこころは、之らの教師は神の使節たるよりも寧ろ人の奴僕であるとの事である――牧者でなくして傭人である。傭人は、小さき群れの中にかかる荒廃をはたらく所の偽の教師、また偽の教えと慣行と習俗とに対し、ラッパのごとく声を挙げて警めることをなさない――吠えることあたわぬおしの犬ども!「禍なるかな、彼らはカインの道にゆき、利のためにバラムの迷いに走れり」(ユダ一一)。

されば是のごとき時にあたり、商買根性がその最も惑わしき光輝と魅力との限りを尽くして発顕し来たることを、我らは期待せざるを得ない。

試みに当代における二三の実例を考慮せよ、然らば現時の商買主義はこの象徴的淫婦「大いなるバビロン」の被造物であり、その子であることが判明するであろう。そうしてもしこの小さき穿鑿せんさくに於いて、主なる犯人は基督教国民である事が知られるならば、それはあたかも聖書が予め警告する所であることを記憶すべきである。

さらば冷静に且つ正直に現代の商買世界の状態を眺めんに、何という恐ろしき憎むべきものを我らは見るではないか。何という奇怪なる社会的不平等!何という力強き圧制!何という驚くべき正義の枉屈おうくつ!何という不節制!何という暴虐!何という職業的生活における利益のための詐欺虚言!富者のためにヤコブ書五章一~五節の厳しき誡告を要すること今日よりも切なる時期がかつてあったか。いわく、「聴け、富める者よ、なんじらの上に来たらんとする艱難のために泣きさけべ。汝らの財は朽ち、汝らの衣はむしばみ、汝らの金銀は錆びたり。この錆なんじらにむかいて証をなし、かつ火のごとく汝らの肉をわん。汝らこの末の世にありてなおたからを蓄えたり。見よ、汝らがその畑を刈り入れたる労働人はたらきびとに払わざりし値は叫び、その刈りし者の呼び声は万軍の主の耳に入れり。汝らは地にておごり、楽しみ、屠らるる日にありて尚おのが心を飽かせり!」もしくは貧者がヤコブ書五章七―九節の忠言に耳傾くるの必要今よりも大いなる時がかつてあったか。いわく、「兄弟よ、主の来たりたもうまで耐え忍べ。見よ、農夫は地の貴き実を、前と後との雨を得るまで耐え忍びて待つなり。汝らも耐え忍べ。なんじらの心を堅うせよ。主の来たりたもうこと近づきたればなり。兄弟よ、互いに怨み言をいうな、恐らくは審かれん。見よ、審判主さばきぬし、門の前に立ちたもう」。

このバビロンの長女なる商買主義は悪事の限りなき形態を以て世界を満たした。その新聞と運送と旅行と取引と売買とを以てする主の日の褻涜せっとく、その良からぬ娯楽、その正しからぬ職業、その地獄のわざをなすための心身の汚辱。それは立法のやかたを腐らせ、正義の泉を汚す。また有害有毒のまぜものを以て我らの食料を毒つける。またキリストの使節たちの証明をもださしめ、もしくは之を濁らせつつある。

今日相互的不信頼を以てたがいに睨みあい、一が他よりも勝りて儲けはせぬかと懸念しつつあるところのものは、何れの国民であるか。彼らは主として基督教国民である。彼らはその得んと欲する所のものの故に、もしくは他の国民が彼らの所有を貪りかつ奪わんとするであろうとの恐怖からして、許多あまたの経費を投じ、莫大の災禍をその民に遺しながら、軍備を整え自らを武装しつつある。この商買的優勝権に対する飽くなきの渇き、この領土に対する――一国全体をも盗まんとするの――餓えは、確かに新しきものではないが、しかし今日それは目立ちて「基督教的」である。

更にこの同じ商買根性のために幾たびか神の契約の民なるイスラエルの迫害の起こったことを考え見よ。過去千五百年間のユダヤ人の迫害者は誰であったか。いわく背教的基督教国、いずれの場合にも。

今日支那幾百万のたましいが阿片の害毒のために誼わるるに至ったのは如何にしてか。商買的利益のために「基督教的」英国がこれを剣の刃につけて彼らに強いたからではないか。インドにおける阿片の取引もまた同じ黙示録十七、十八両章の象徴的婦人に感謝すべきであろう。

その残忍さは恐るべき奴隷売買にもまさると言われるコンゴー河の象牙並びにゴム取引は如何。之が憎むべき当事者は同じく名目上の基督教国民である。商買上の儲けの為である。

アフリカ、アメリカ、太平洋諸島の奴隷売買の関係者は誰であったか。これまた名のみなる「羔の従者たち」であった。

「地の商人ら」がアルコール及び煙草の商売によって得た莫大の富は、これを誰に感謝すべきであるのか。「彼らは彼女によりて富を致せり」。その生産者は基督教国であり、その消費者の大部分もまた基督教国である。

世界の列強が近ごろアフリカの異教国民および太平洋諸島に対するラム酒および火器の売渡抑制について共同動作を取ったのは何の故か。之らのものの心身有害性の故か。毛頭然らず、ただ之らのものがその民らを相手の彼らの商買に有害なるが故である。けだしラム酒および銃砲はかの国々の住民を絶やし、かくて彼らの商品の市場を損うからである。

合衆国において年々十万の犠牲者を酔漢の墓に降らしめるところの、いわんや悲哀と不幸、貧窮と堕落、また遺伝的傾向などを伴うところの、酒業を、法律によって容認し公許し保護するが如き文明の「基督教的」性質は、何と思惟してよろしきや(訳者註、この一項は制度としては今は当らないが、しかし精神に変わりはない)。

すべて地上の重要なる都市には、巨費を投じて維持せらるる消防署なるものがある。その装備は完全にして、訓練よろしきを得たる人馬をも備えている。一たび警鐘鳴るや、数秒もたたぬうちに凡ては発動し、失火の現場にむかってあわただしくも突進する。たとえそれが一棟の物置または厩舎の小火に過ぎずとも。然るにその同じ都市にまた大きな地区があって、そこでは殆ど各軒毎に幾つかの客間があり、その所にて人々は物置または厩舎ならぬ「身体および霊魂」に放火すべく法律により公認せられているのである!「基督教文明」はかくのごとき地獄の火を消す目的のためには何らの消防署をもたない。神の霊の住所たるべく建てられしこの宮の火災のために科学は何らの警鐘をも鳴らさない。「基督教文明」は却ってこれを焼け倒れしめ、且つこれに放火する者どもを保護するのである。何となれば「基督教文明」はこの不正なる商買からして多額の利益を挙げ、この「死の部屋」の特許からして収入を得るが故である。

基督教国以外において之に比すべきものはない――最闇黒の異教国においてさえも。すべてこれらの奇怪なる憎むべきものは、この大いなる「淫婦たちの母」の子であり、その娘なる淫婦たちである。怪しまるるは、神が彼女の焼かるる煙を更に速やかに挙らしめたまわぬ事である。

かかる間に、神は天よりの声をもって我らに呼ばわりつつありたもう、いわく「わが民よ、かれの罪に与らず、かれの苦難を共に受けざらんため、その中を出でよ」と。

〔第一〇二号、一九二八年一二月〕

第三 アウガスチン研究

一 肉情の縄目断たるるまで

わかき日のアウガスチンに色々の罪があった。その懺悔録において彼自らが録すところによれば、彼には怠慢もあった。それは彼が遊戯を愛し、競技の勝利を得んがために、または虚妄の譚話に耳を楽しませんがために、課せられたる学修の義務にそむいたのであった。また彼には盗みもあった。それは盗んで獲べき物の誘惑ではなく、盗むことその事の誘惑におちて、友だちと共に庭に隣れる梨子の樹を掠め、その果を夥しく奪ったのであった。また彼には虚栄心もあった。それは争訟の事においての優勝を目的とする狡猾なる学問――修辞学――の学校に首席者となって、みずから誇り高ぶったのであった。そのほか多くの悪しきものが彼の心にまた行為にあった。

しかしながら凡てにまさりて力づよき彼の罪は、肉の慾であった。生まれながらに情感ゆたかなる彼は愛しまた愛せられることを何よりも悦んだ。ただ「心より心へ」という愛ののり、その美しき友情の境界を彼は守らなかった。「肉の泥ふかき邪慾より、若気わかげの泡立ちより、霧はけぶりて私の心を掻き曇らせ、ために私は愛の澄明なる輝きと肉慾のもやとを判別することが出来なかった。二つながら相混じて私の中に煮えたち、わが定まらぬ若気を駆りて不浄の願望の断涯にすすませ、ついに淫蕩いんとうの淵に私を沈めた」。こは彼が十六歳の頃の生活に関する記録である。

一たび足をすべらしたるアウガスチンは、次第に深みへと陥った。例えばさわげる海のように泡だちて彼はおのが潮の奔放を追い、神を棄て神の定めたまいし限界を超え往いた。もとより斯して神の鞭を逃れる訳にはゆかなかった。その不法なる快楽のなかにはいと苦きぜものがあった。それは彼をして雑ぜものなき快楽を求めしめんがための神の心尽くしであった。しかし彼は顧みなかった。遠く遠く神の家の悦びより彼はさまよい出た。不潔の願望の荊棘は彼の頭上に生い茂った。しかしてそれを抜き去るべき手とてはなかった。「見よ、いかなる仲間と共に私はバビロンの街を歩み、あたかも香料香油の床にまろぶが如くその泥のなかにまろんだか」と彼は言っている。

翌年かれは或る富者の援助を得て大学に学ばんがためにカーセージへ出た。カーセージは当時のパリであった。富においても人口においてもロマに次ぎ、繁栄をアレキサンドリアと競って、華やかなる歓楽の都であった。「そこには私の周囲ぐるりじゅうに不浄の愛の大釜がわが耳に鳴りひびいていた」。かかる都に来てわかきアウガスチンは、罠なき途をにくみ、愛せずしていたずらに愛を愛した。しかして愛すべき者を彼は求めた。彼の霊魂は病みわづらった。それは浅ましくも自己を投げいだして、何らか感覚の触接により抓きこそげらるることを望んだ。「この故に私は淫慾の汚穢を以て友情の泉をけがし、肉慾の地獄を以てその光輝を曇らせた」。

彼は自ら求めて罠の中に飛び込んだのであった。必然、悦楽と共に悲哀の縄目が彼を縛った。嫉妬と猜疑と恐怖と忿怒と争闘との、燃ゆる鉄杖に彼は撃たるるを覚えた。

その年ついに彼はひとりの無名の婦人を得てこれと同棲した。勿論正しき結婚生活ではなかった。

彼をして初めて自己の生活の虚しさを悟らしめたものは、シセロの著書『ホルテンシウス』であった。この書の中に哲学の勧めの詞を読んで、彼の情感は変わった。肉の慾望の無価値はとみに明らかになった。「信じがたきほどの熱心を以て」彼は不朽の智慧を求めた。燃えながら、地のものより神に上ろうとして彼は起った。その十九歳の時の事であった。

ここに於いて彼は聖書の研究を始めた。しかしながら「入るには低く進むには高き」その途は彼に適わなかった。聖書の見栄みばえなさに躓いて、彼はまた之を棄てた。

間もなく彼はマニ教に帰依した。悪を必然の性質と見るこの教えは、再び彼の罪意識を鈍からしむるに役立った。かくてあたかも事なきもののごとく不浄の結合生活を続くること遂に十幾年。

そのあいだ彼の境遇に幾変遷はあった。彼は一たびロマに出でまたミランに移った。マニ教に対する彼の信頼も甚だしく動揺した。ミランに移りてより監督アンブローズの教導のもとに、彼の蒙は少しづつ啓かれて往った。しかしながらただ変わらぬはその卑しき本能の生活であった。

「私はつくづく思い慮りて、時の長きにいたく驚いた。私が始めて智慧の欲求に燃えたち、これを見いださばすべての虚しき望みと空なる願いの狂乱とを棄てようと決心したのは、早く私の十九の年であった。しかして見よ、今わたしは既に三十歳であるのに、なお同じ泥のなかになづみ、現在のものの享楽を貪っている――みな過ぎゆくもの、またわが霊魂を萎えさすもの。然るに私は独語して言った、『明日私はそれを見いだすであろう。それは明らかに顕われるであろう、しかして私は掴むであろう……物みな失せよ、我らはすべてこの空しきものを棄てよう、しかしてひたすら真理の探求にいそしもう……さりながら待て!之らのものもなお楽しくある。之らにも少なからず甘さはある。軽々しく棄つべきでない。何となれば再び立ち帰るは恥辱であるから、云々』と。かように私は言い、かかる風が私の心を吹いて此方彼方に追いやるうちに、時は過ぎた。けれども私は主に帰ることをためらった……福祉の生活を愛しながら、それ自身の住所においてはこれを恐れ、これを避くることによってこれを求めた。女性の手に抱かるることなくば、私はあまりにも憐れであるとみずから思った。しかしてこの荏弱じんじゃくを癒すべきなんじの憐憫の医薬を思わなかった。いまだ試みなかったからである……肉の病とその致命の甘さとに縛られながら、私は解かるることを恐れてわが鎖を引きずったのである云々。」

主として彼の母の願いにもとづいて、他の婦人との正式なる結婚がたくらまれた。遂にその人は選ばれた。しかしなお年若きがゆえに二年だけ猶予せられた。

その結婚を妨げざらんがために、今までの情人は強いて彼の脇より引裂かれた。愛着せる彼の心は破れ傷つき血ににじんだ。彼女は再び他の人を知るまじく神に誓いつつアフリカに帰った。然るに遺されし彼は如何。「不幸なる私よ、ひとりの婦人にだに倣い得ぬとは!」彼女のごとき誓いをなすことも出来ず、二年の後の結婚を待つことさえ能わずして、更に他の婦人と彼は結び付いたのである。もとよりそれはいたずらに彼の霊魂の疾病を募らすに過ぎなかった。破れし心も之がために癒えはしなかった。

もし死と来たるべき審判との恐怖がなかったならば、いよいよ深く肉情の淵に彼は陥ったであろう。ただこの二つの観念はいかなる変化のなかにも彼の胸を去らなかった。そのゆえに彼はエピキュリアンたることを免れた。時として彼は尋ねていった、「もし我らに死がなく、断えざる肉体的快楽の中に生きて、之を失うの恐怖がないならば、何ゆえ我らは幸福でなかろうか、また他の何ものを我らは求めようか」と。肉的快楽の生活そのものの中に如何なる禍いが籠もっているかは、いまだ之を悟らなかったのである。

そのうちに新プラトン派学者の著書が彼の手に入った。かつてはシセロが不朽の智慧の願望に彼を燃え立たせたように、今はプロティヌスが「言」としてのキリストの栄光を彼の前に輝かせてくれた。彼は内なる眼を以て「不変の光」を見た。その光こそは永遠なる「真理」であり、真理なる「愛」であり、愛なる「永遠」であった。これを見て彼は怪しき昂揚をおぼえた。神の美は彼を高めたのであった。しかしやがてまた幻滅は始まった。彼自身の重みによりて彼は引下された。この重みは肉の習慣であった。変わらぬ肉の習慣のために神の光より撃ち返されて、又しても元の泥のなかに彼は沈淪ちんりんした。光のうれしき記憶のみが彼に遣った。願わしきものの香を嗅ぎながら未だ之を味わうことを許されなかった。

再び彼は聖書におもむいた。殊に使徒パウロを精読した。しかしてこのたびはもはや躓かなかった。神の恩寵の讃美は新しき望みを彼に起こさせた。ただに山の頂より平和の郷を望見するのみならず、そこにまで導く途のあることを彼は知った。神のみわざをおもって、彼はいたくおののいた。

今やみことばは彼の心に膠着した。永遠の生命について疑う所は少しもなかった。しかしながらこの世の生活は依然として動揺そのものであった。古きパン種はなおその心より除かれなかった。女性の愛はなお彼を虜にしていた。彼は既に貴き真珠を発見したのである。まさに一切の所有を売って之を購うべきである。然るにそれが出来ないのである。

アンブローズの信仰の父シンプリキアヌスは神の恩寵にかがやく善き僕であった。行き詰まれるアウガスチンは窮余の策として彼を訪ね、しかしてその深き惑いを訴えた。

談はたまたま彼が読みたる新プラトン派著書の翻訳者なるビクトリヌスの事に及んだ。この人の回心の経験をシンプリキアヌスは語りはじめた。彼は親しくこの人を識っていたのである。

ビクトリヌスはいわゆる自由科学の権威であり、多くの元老院議員たちの師傅しふであり、またその功績のゆえにロマの市場に肖像さえ建てられし名士であった。しかして晩年に至るまで彼はロマの貴族たちと同じ偶像崇拝者であった。かつ多年のあいだ彼はとどろく雄弁を以て之を守護し奨励して来たのであった。

然るに熱心なる聖書の研究ののち、彼は密かにシンプリキアヌスに書を送っていった、「私は既に基督者であると承知せられたい」と。後者は答えた、「キリストの教会の中に君を見るまで私はそれを信じない、また君を基督者の中に算えない」と。「然らば壁が基督者を造るのか」。このようなる問答が幾たびか繰り返された。けだしビクトリヌスの地位と名声とによって、今更なる基督教信仰の公然の表白は小さからぬ犠牲でなくてはならなかった。しかし彼はまじめに考えた。もし今私が人々のまえにキリストを恥づるならば、キリストもまた天使たちのまえに私を恥じ給うであろう。

突然、かれはシンプリキアヌスに言い込んだ、「教会に往こう、私は基督者になりたい」。

当時新たに信仰の生活に入る者は、教会の高壇にのぼり、全会衆にむかって信仰の告白をなすの定めであった。ただ心よわきもののために更に隠密なる方法が許された。ビクトリヌスの告白の時は来た。長老たちは彼にも特別の計らいを申し出た。しかし彼は聴き入れなかった。救いならぬ修辞学をさえ自分は公然と表白して来たものを、まして神の言をぶるに当りて人を恐るべきであろうか。

彼は進み出た。会衆のうち誰ひとり彼を知らぬものはなかった。口より口へ、低きささやきは伝わった。ビクトリヌス!ビクトリヌス!姿いよいよ現われるやたちまち歓呼の爆発があった。忽ちまた静謐せいひつがおおった。彼は口を開いたのである。真実なる信仰のいみじくも大胆なる告白よ。一同は彼をおのが胸に引きしめたくさえおもった。

その後ジュリアン帝の代にいたり、基督者は自由科学または雄弁術を教授することを法律によりて禁止せられた。ビクトリヌスは職業のために信仰を変えなかった。彼は神の言を選んでこの世のものを棄てた。

この物語を聴いてアウガスチンはいたく感動した。ビクトリヌスは恵まれたる者であると彼は思った。彼の得たものを自分も日夜なげき求めつつあるのである。しかもおのが鉄鎖に縛られて動くことが出来ないのである。例えば甘き睡りを続けたものが、外よりの刺戟を受けて起きようと努めながら、なおも重き睡気に圧されてまどろみつづける様にも似ている。神は真理を以てアウガスチンに迫った。彼はそれに応じてとうとした。しかしながらち得ず、「今暫く」「今暫く」といってまた倒れ臥した。

ある日かれと同郷の人にして宮廷に高官を勤め居るポンチチアヌスという基督者が訪ねて来た。彼は卓上にある一書を取り上げて見て、それが意外にもパウロの書であることを怪しんだ。やがて彼は当時基督者仲間にいとも名ありしエジプト僧アントニーの事どもを話し始めた。

それはトリエルにて皇帝が競技に耽っていた或る日の午後の事であった。ポンチチアヌスほか三人の宮内官は二組に別れて近郊を散歩した。その一組は或る小屋に立ちよりアントニーの伝記を見いだした。徒然つれづれなるままに一人が読みはじめた。彼の心は怪しくも撃たれた。彼は斯のごとき生涯の慕わしさをおもい、比べては自己をあまりにも浅ましと見た。友を顧みて彼はいった、「君よ、いかに。我らかく辛労しながら何を獲るか。我らの望みは高くも皇帝の寵臣たることに過ぎぬではないか。しかもそのための危険は如何。しかしながら、私は望まば今にも直ちに神の友となり得るのである」。かく言って彼はなおも読みつづけた。胸には強き痛みがあった。高低幾波瀾ののち、彼の心はついに定まった。ふたたび友に言った、「もはや私は今までの望みを棄てて神に仕えようとおもう。しかしてこの時この所において直ちに私は始める。君もし倣うことを欲せずとも、反対はするな」。

しかし今ひとりの者も彼を棄てはしなかった。はえある報償むくい、栄ある奉仕ならば諸共にこそと彼は言った。かくて二人は一切の所有を棄てて神に従った。二人ともに許嫁の婦人があった。彼らもその事を聞くにおよんで、躊躇ためらわずおのが童貞を神にささげた。

聴き居るうちに、アウガスチンは自分の姿が背後より眼前に引きいださるるを覚えた。いかに醜く、いかに曲れる、いかに穢れたる姿よ。彼は見て慄然とした。しかしてあたかもこれを見ざるもののごとく、之に瞬きして、之を忘れた。

「しかし今私はそれら癒されんがために自己を全く汝に委ねたという健全なる情感の人々を愛すれば愛するほど、彼らに比べて一しお私自身を憎んだ。そはわが十九歳のときキケロ(シセロ)のホルテンシウスを読んでまじめなる智慧の愛に動かされて以来、すでにわが齢幾年いくとせか(ほぼ十二年)馳せ去ったからである。しかも私はなお単なる地上の福祉を棄てていやまさるものの探索におのれを委ねることをためらっている。そのものの発見のみならずただの探索さえ、既に得られたる世の財宝または王国にもまさり、また思うがまま身のまわりに展べらるる肉の快楽にもまさるものを。然るに私は浅ましくもいと浅ましいかな、わかき青春の首途しゅとにおいて汝に貞潔を請いながら、言ったのである、『貞潔貞節をたまえ、ただし今すぐではなく』と。そは私は汝が直ちに聴きたもうて直ちにわが淫慾の疾病を癒し給わんことを恐れた。私は淫慾の除かれん事よりもむしろその満たされん事をねがったのである。」

かく日々にためらいつつも彼はみずから弁解して、進むべき途が未だ明らかならぬ故であると言っておった。しかしもはやその口実も空しくなった。彼の良心は今や彼を責めていった、「なんじの舌は今何処にあるか。見よ、彼らその途の探索に労することもなく、之が考慮に十幾年を費すこともなかりし人々が、既にその肩を軽うして飛び去るべき翼を受けたではないか」と。彼は内に歯がみした。恐るべき恥辱のために心いたく惑乱した。言い得べき限りの事を自らに向かって言った。鞭をあげてひたすらにその霊魂をうった。それでもなおたじろぐのである、拒むのである、ただしもはや弁疏べんそする所はない。すべての論破は用い尽くされた。あとはただ言もなく立ちすくむのみであった。彼の霊魂は死を恐るるがごとくにその肉情の習性よりの節制を恐れた。しかしてその故に却っておのれを死に渡しつつあった。

そのときアウガスチンの内的闘争は烈しくあった。遂に居堪いたたまらずなりて、彼は庭園に馳せ去った。

かつ煩いかつ悶えた。彼の骨はみな叫んでいった、「速やかにみこころに従え」と。しかし鎖はなお破れなかった。微かながらなおそれは彼にまといついていた。彼は自らを怒り自らを責めた。恐怖と恥辱とはいやましに募った。心の中に彼は言った、「今こそ!今こそ!」。かく言ってほとんど彼は成しとげようとした。しかし成しとげ得なかった。再び彼は試みた。まさに触れて捉えようとした。しかし僅かに、僅かに足らぬ所があった。なおかつ触れず、はた捉えなかった。

「私の古き情人なるかの虚の虚、空の空は、なお私を捉えた。彼らは私の肉の裳を引きとめて優しくささやいた、『なんじは我らを棄て去るのか。その時よりして我らはもはや永久に汝と共にあり得ないのか。その時よりして此事彼事は永久に汝に許されぬ事となるのか』と。しかしてここに私が『此事彼事』というところの事を以て彼らの暗示したものは何か、何を彼らは暗示したか、ああわが神よ。ねがわくは汝の憐憫のゆえに汝の僕のたましいよりそれを斥けたまわんことを。如何なる汚穢、いかなる恥辱を彼らは暗示したか。今私は半ほども彼らに聴かない、彼らも自らをあらわに示して私に逆らうことをせず、ただ私の背後にありてつぶやき、去りゆかんとする私をひそかに引きとめて、ただ彼らを顧みさせんとするに過ぎない。しかもなお彼らは私を妨げたのである。しかして私は自由に彼らと断絶しておのが呼ばれし所に飛びゆくことをためらった。烈しき習慣が私にいった、『なんじは彼らなしに生き得るとおもうのか』と。

さりながら今やその声もいと微かになった。何となれば私が顔を向けながら往くにおののくその方に、潔くしていかめしき『貞節』が私に顕われたからである。弛みはなき朗らかさ華やかさを以て、『来たれ、疑うな』と私を招きつつ。私を受けて抱かんと差し伸べらるるその聖き手には、善き範例の衆群が充ちている。数多の青年男女、若きまた齢様々の衆群、まじめなる寡婦、老いたる処女たちなど。しかしてすべての中に『貞節』みずから、石女うまずめならぬ喜悦の子らのうみ多き母として。もとよりそれは、主よ、夫なんじによりてである。かくて彼女は説き伏すごとき戯れをもて私にほほえみ、言わんとするよう、『この青年ら、この少女らが能う事をなんじは能わぬか。もしくは彼らが能うは彼ら自身にありてか、むしろ主なる彼らの神にありてではないか。主なる神は私を彼らに与えたもうた。なにゆえ汝は自らに立ち、その故に立たないのか。汝自身を彼に委ねよ、恐れるな、彼は退き汝は倒るることあるまい。恐れなく自らを彼に委ねよ、彼は受けて汝を癒したもうであろう』。私はいたく羞じらった。それはなおもかの虚なるもののつぶやきを私は聴いて、逡巡していたからである。しかして彼女は再び言うと見えた、『地にある汝のその不潔の肢体に耳を閉じよ、かくてそれを殺せ。彼らは悦楽を汝に告げる、しかし主たる汝の神の律法には比ぶべくもない』と。」

アウガスチンの霊魂の隠れたる底より、彼自身の浅ましさが悉く現われいでて、彼の目のまえに積み累なった。そのとき力づよき嵐は起こり、涙の驟雨は烈しくそそいだ。彼は更に人を避けて、或る無花果の樹の下に倒れ伏し、心ゆくばかりに涙した。彼は叫んだ、「しかしてなんじ、ああ主よ、何時までか、何時まで、主よ、なんじは限りなく怒りたもうか。わが先の答を憶えたもうな。何時までか、何時までか。『明日また明日』か。なにゆえ今ではないのか。なにゆえこの時わたしの不潔は終わらぬのか」。

かように烈しく心くずおれて呼びかつ泣いていたとき、隣家よりひびきくる或る声を彼は聞いた。子供の唱歌であった。繰返し言うには、「取上げて読め、取上げて読め」と。それは彼のために特別に意味ある声としか思われなかった。涙の滝つ瀬を抑えて彼は起った。しかして往いて聖書を取りあげ、開いた。まずその眼の落ちし章節を沈黙のままに読んだ。いわく

宴楽、酔酒に、淫楽、好色に、争闘、嫉妬に歩むべきにあらず。ただ汝ら主イエス・キリストを着よ。肉の慾のためにそなえすな。(ロマ一三の一三、一四)

もはやその後を彼は読もうと思わなかった。また読むにも及ばなかった。何となれば直ちにこの句の終わりにおいて、晴朗の光が彼の心にさし入り、すべての懐疑の暗黒を逐い払ったからである。アウガスチンは今や新しき衣のごとくにキリストを着たのである。しかしてその故に、さしも長らく彼を苦しめたる肉情の縄目は遂に見事に断ち切れたのである。

「ああ主よ、私は汝の僕である。汝の僕にして汝のはしための子。汝はわが縄目を断ち切りたもうた。感謝の祭物をこそ私は汝に献げよう。わが心わが舌をして汝を讃美せしめよ。然り、わがすべての骨をして言わしめよ、主よ、誰か汝に比ぶべき者があろうかと。しか言わしめよ、しかして汝わたしに答えて、わが霊魂たましいに言いたまえ、私は汝の救いであると。私は誰か、また私は何か。如何なる悪かわが行為わざでなかったか。もし行為ならずば、わがことば、もし言ならずばわが意思でなかったか。しかし主よ、なんじは善にして憐憫ふかくいまし、汝の右の手はわが死の深みをまで顧み、わが心の底よりその腐敗の深淵を除きたもうた。すなわちすべて私の意思したるものを私は最早や意思せず、汝の意思したまいしものを意思するに至った事これである。しかしこの幾年のあいだ何処にか、また如何なる低く深き隠所よりわが自由意思は瞬くまに呼びいだされ、かくて汝の易き軛にわがくびを、なんじの軽き荷にわが肩を従わすに至ったか、キリスト・イエス、わが助け主、わが贖い主よ。かの虚なるものの甘さ、今は無きこそ私にいかに甘くなったか。かつて別るるを恐れたもの、今は失うに喜びである。そは汝かれらを私より投げ棄てたもうたからである、なんじ真実にして至高なる甘美よ。なんじ彼らを投げ棄てて代わりに自ら入りこみたもうた。血肉には然らねど、すべての快楽よりも甘く、みずから高ぶるものには然らねど、すべての光よりも輝かしく、しかもすべての深みよりも隠れ、すべての誉れよりも高き汝。今やわが霊魂は奔走し獲得し、また汚物の中にまろび、また肉慾の疥癬を掻きむしるなどの、劇しき煩慮より解き放たれた。しかしてわが幼き舌は自由に汝にむかって語る、ああわが光輝、わが富、わが健康なる、主よ、わが神よ。」

二 『懺悔録』に現われたるモニカの信仰生活の進展

人類が永久に記念して忘れないであろう所の女性のひとりに、アウガスチンの母モニカがある。彼女は珍しき信仰の婦人であった。しかしながら彼女の信仰生活にも勿論進展の歴史があった。我らは『懺悔録』の随所に現わるる片鱗によりて少しくその跡をたどることが出来る。

アウガスチンがなお年少にして悪しき仲間とともに「バビロン」(世俗的腐敗の都)の街を歩み、香料香油の床にまろぶがごとくその泥土の中に転んでいた頃、モニカはいまだ俗臭を脱せぬ基督者であった。彼女は既に「バビロンの中心より逃れ出た。しかし更に徐々とそのへりの中を往いた」。彼女は乱行の子に貞潔を勧めはした。「姦淫を犯すな、殊に断じて他人の妻を汚すな」と誡めはした。しかし現在すでに毒悪にして将来最も危険なるものの存在を彼の中に認めながら、之が制御について適当に注意する事をしなかった。「彼女が之を注意しなかったのは、結婚が私の希望に障碍となり邪魔となることを恐れたからである。希望というは、わが母が汝(神)の中に措くところの来世のそれではなくして、勉学のそれであった。私の両親はあまりにも私の勉学の成就を望んでいたのである。父は殆ど汝につける思想おもいたなかったから。母はかかる通常の勉学の途が汝に近づくために何らの障碍でないのみならず、却って幾分の促進であるとさえ考えたから」(『懺悔録』二巻三の八)。

しかしながら一両年の後、アウガスチンが邪教マニ教に帰依して、次第に神より遠ざかり霊的暗黒の深みに陥りゆくを見るに及び、彼女の胸はいたく痛んだ。世の母たちがその子どもの肉体死をくにまさりて彼女は彼のために神に哭いた。そは神より賜わりし信仰と霊とによって、彼女は事態の重大さを見わけたからである。彼の褻涜せっとくは彼女にとって堪えがたきものであった。ついに彼女は彼と共に同じ家に住まい同じ食卓にて食らうことを拒絶した。しかして断えず彼のために祈った。その祈る所ごとに溢るる涙は地をうるおした。

或る夜、夢に彼女はみずから一つの木製定規の上に立つを見た。ここにひとりの輝かしき青年が来て、彼女にむかい楽しげにほほえんだ。彼女自らは悲しみに沈んでいた。何ゆえ悲しむかとの問いに答えて、その子の滅亡を歎きおる旨を彼女は告げた。彼は言った、「安らかにあれ、見よ、なんじの在る所に彼もまた在る」と。見れば、同じ定規の上にアウガスチンは立っていた。

悲しみの心は慰めを得た。彼女は祈りのついに聴かるべき日あることを信じた。しかしてその子に復帰を許した。

また或る監督の許にゆいて、誤れる己が子に面接説服せんことを彼女は願った。監督は聡明にも答えていった、「しかし暫く棄て置けよ、ただ彼のために神にいのれ。彼は読書によって、その誤謬の何たるとその不虔のいかに大なるとを、自ら発見するであろう」と。同時に彼は告げて言った、自分も少年のころ、迷える母のためにマニ教に渡され、唯にその書を読んだのみでなくまた殆ど凡てを筆写したことがある、しかし誰からも説かれずに、その教えの迷妄をさとって遂に之を避けたと。さりながら彼女は満足しなかった。しかしてなおも執拗に、涙をそそぎながら、相会って言い聞かせんことを歎願した。監督は少しく不興気にいった、「往け、かかる涙の子が滅びることは有り得ない」と。この一言は彼女に天よりの声と聞えた。すなわち深く之を胸に蔵めて、いよいよ信頼を堅くした。

年は来たり年は去った。しかし迷える子がたち帰りて母と同じ定規の上に立つべき気配は少しも見えなかった。アウガスチンは早や二十有九歳に達した。カルタゴの学生らの風儀を嫌いし彼はロマに移ろうと欲した。モニカは悦ばなかった。家を出でしその子を追って彼女もまた海辺に往いた。連れ帰るにあらざれば共に往かんとてである。しかし子は母を欺いた。ひとりの友人が順風を得て出帆するまでは去りがたいと彼は偽り告げた。かくてもモニカは独り帰るをがえんじなかった。是に於いて一夜海岸にあるサイプリアン記念礼拝堂の中に彼女を留まらしめ、しかして密かに彼は出発した。「私はわが母、かかる母をしも欺いて逃れた」。知らぬ彼女は、疑いもなく神にむかって彼の出帆の許されざらんことを祈り求めていたであろう。風は吹いて帆を孕ました。船は岸を離れた。明くる朝、人はそこに狂気のごとく歎き叫べる母を見た。

モニカの祈りは聴かれない。涙の子はただ滅びにむかって進む。神は彼女の涙を見過ごしにしたもうのである。しかしながらモニカは失望しなかった。彼女はどこまでも憐憫の父を信じた。故に変わらず歎きと涙とを以て祈りつづけた。

しかして彼女の心をひとえに神に向けしめたものは実にこの聴かれざる祈りであった。聴かれねばこそいよいよ依り頼むの他を彼女は知らなかったのである。涙の子をたせられた事はモニカの不幸ではなかった。子のために注ぐ無量の涙ゆえに、母は限りなく神と親しむことが出来た。神はまず彼女を己に近づかしめんがために、憚らずその子を遠ざけたもうた。しかる後にまた彼女によりて彼をも取り戻さんとするは、神の神らしき奇しき聖慮みはかりであった。

幾ばくもなくモニカはアウガスチンを追って海陸を越え、遠くミランにまで赴いた。海上風荒れ浪は高くあった。旅客は勿論、船員たちさえ恐怖をいだいた。ただ信頼ふかきモニカは或る幻を得て、航海の安全を疑わなかった。しかして女性の身を以て却って彼らを慰め励ました。

往って彼女はその子の悲しむべき危機にあるを見いだした。そは彼はもはや真理の発見について絶望していたからである。但し過去九年の迷謬マニ教より彼の既に離れたことを知るは、彼女にとって大いなる慰めであった。彼女は既に彼を精神的死者と見ておのが思想の棺台の上に運びながら、神が何時か寡婦の子にむかい「若者よ、起きよ」といって之を起きかえらしめ、しかして母の手にわたしたもうべきを疑わなかったのである。故に今その神の約束の一部の成就を見て、彼女の望みは更に確くせられた。すなわちいった、「私は世を去るまえに、必ず正しき信者としてのなんじを見るであろう。キリストにありて私はそれを信ずる」と。

ミランの監督アンブローズに於いて彼女は善き指導者を見いだした。或る時彼女はアフリカの習慣に従い菓子パン酒などの祭料を携えて教会に往き、すげなく門番に拒絶せられた。彼女の側には多くの申分があった。しかしその処分が監督の命によることを知るや、彼女は処分の是非を批判せずして直ちにおのが習慣を責め、いとつつましく之に従った。その態度の信頼ぶかさはアウガスチンをして怪しましめた。

彼の結婚問題について彼女の取った態度は私には腑に落ちない。何故にその十数年の伴侶たりし婦人との当然なる結婚を彼女は勧めなかったのか。ひとりこの問題については、彼女は不思議にも神の明瞭なる啓示を待たずして行動した(『懺悔録』六の一三)。それは恐らく彼女の信仰の生涯における最大の失敗であろう。

彼女にかかる失敗はあった。しかしながら神には失敗も違算もなかった。時は遂に来た。涙の子は遂にキリストに帰った。無花果の樹かげの出来事を聴いたときに、「彼女は歓喜のために躍り、勝ち誇り、しかして我らの求むる所思う所よりもいたく勝る事をなし得る者を祝福した」。そは彼女の古き夢は充たされて、その子は果然、信仰の「定規」の上に彼女と共に立ったからである。涙とともに播きしものは豊かなる禾束たばを穫取ることを許されたからである。心貧しき者の信頼はいとも高き栄光を被せられたからである。

数ヶ月の後、彼らは新しき奉仕の生活に入らんがために、アフリカを指して帰途に就いた。タイバーの河口オスチアまで来て船出を待った。或る日、母子ふたり庭にのぞめる窓に倚りながら、静かに語り合った。

ふたりの霊魂は怪しくも至高いとたかき天にむかって天翔った。すべて物象の世界を超越して、永遠の智慧の住む国に彼らは上った。まさしく「主の歓喜に入る」の経験であった。此の世とその一切の歓楽とは彼らに卑しきものと見えた。

母は言った、「子よ、私としては、最早や今生こんじょうに何の楽しみもない。此の世にての私の望みは遂げられたからには、もはや此処にて何をなすのか何を目あてに此処にあるのか私には分らない。私が暫く今生に留まりたく思ったのは唯一つの事のためであった。すなわち死ぬまえに公教基督者としてのなんじを見たかったのである。神は願いしにまさりてこの事を私のために成就したもうた。今私はなんじが地上の幸福を斥けて神の僕となったのを見る。私はここに何をなそうか」。

更に五日ばかりを経て、彼女は熱病にかかった。一時は失神の状態に陥った。気づいてのち子らに目をとめて言った、「此処に母を葬れ」と。アウガスチンの弟は、母がかかる異国に於いてでなく故郷にて死なんことを望む旨を語った。彼女は心配げに目にて彼を制し、しかして言った、「この身は何処へなりとも置くがよい。さる事のためにいささかも思い煩うべきでない。ただ一つ私は望む、なんじら何処にあるとも主の祭壇にて私を憶えるように」と。出来るだけの言葉をもてこのおもいを表わし、しかして沈黙を守った、募りゆく病苦に煩わされて。

おのが埋葬の場所如何は、今までかなりに彼女の関心事であったのである。即ち夫の傍に葬らるることを彼女は望んでいたのである。しかし何時しかそれも問題にならぬほど彼女の心は満たされていた。同じころアウガスチンの留守中彼の友人たちが、かくも故郷より遠き所に身を遺しおくを不安には思わぬかと問うたときにも、彼女は答えて言ったそうである、「神に遠いものは一つもない。また世の終わりに、神が私を何処より起こすべきかと迷いたもう筈があろうか」と。

かくて後四日ばかりにして、この信仰の婦人は世を去った。彼女の五十六歳のとき、アウガスチンの回心の翌年であった。

モニカは通常祈りの婦人として知られる。まことに彼女はそれであった。しかしながら祈りは祈りのゆえに貴くない。ただ信頼より湧きいづる祈りのみが貴い。モニカのモニカたる所以は、祈祷になくして信頼にあった。はじめ多少の俗臭を帯びたる彼女の霊魂は、その子の堕落のゆえに限りなく砕かれた。彼女の生命はただ信頼する事にのみあった。しかしてその信頼が一先ず見事なる果を結んだときに彼女の地上における使命は成就して、モニカは召されたのである。彼女のごときはいわば信頼せんがために生きたる婦人であった。

三 『懺悔録』を復読して

十幾年ぶりにアウガスチンの懺悔録を復読した。それが全く新しい書として現われたのに驚いた。

前に読んだときには何しろよく分らなかった。著者の内的生活が自分にしっくりしない上に、その神についての思索やその記録の真実味などが、自分にとっては或いはもどかしく或いは多少疑わしくさえ感ぜられた。

然るに今度はどうしたものか、開巻の初めからその一言一句がひしひしと自分の胸に訴えた。著者の簡潔なる言い表わしの下に無限の真理が展開せられているのを自分は見た。心の深いところに断えざる共鳴のひびきがあった。いつの間にか自分の呼吸が著者のそれにぴったりと適合して、人の著書を読んでいるのか自分の告白を聞いているのか分らなくなってしまった。七月初めからただこの一書に自分は読み浸った。朝起きてすぐそれを読んだ。寝る前に必ず読んだ。外出のときには携えて電車の中で読んだ。始めから読み、終わりから読み、中から読んだ。或る部分は三回四回五回読んだ。読む毎にアンダーラインが殖えて遂に全頁を黒くしたところも少なくない。自分の用いたのはピウゼー訳である。確かに名訳である。訳者に霊感なくして之だけの訳文は綴れない。しかし自分はどうしても原文で読まずにはいられなくなった。到底得られまいと覚悟しながら書店に往って見た。偶然その一本を手にし得た時の喜びは口で表わし得ない。二十年間棄ておいたラテン語の復習を始めた。神は早晩自分の願いをかなわして下さるであろう。大いなる期待に胸がおどる。

それにしても何という貴い本であろう。一つの霊魂が神に帰るまでのさまよい、その罪ふかさ、その憐れさ、そのいじらしさ。之をみちびく神の限りなく深き心づくし。実に人生とはどれだけ厳粛な実在であるかがよくここに窺われる。かつまたその言い表わし方。一切を神の前に、一切を神との関係において、一切を神のために。これが本統の態度である。人が物を言うときには先ずこうあるべきなのである。幾千万とも数えがたき書物の中にただこの一書においてのみ(勿論聖書は別)霊魂の発言として最もノーマル(正規)な声を聴くことが出来る。今度これを読んだときに自分のたましいは故郷に帰ったような気がした。多くのアウガスチン学者が懸念する衒気げんきや誇張を自分は今はこの書のうちに微塵も認めることが出来ない。却ってそういう心持の存在をゆるさない所にこの書の貴さがあると自分は信ずる。

一通り読み終ったときの感じ――神様がこの本を自分に見せて「これはお前の書いた本ではないか」と。自分は驚いて読んでみたら、確かにそうであった。もう一つ――もし人類が天の使いたちにむかい、見よ我々の社会にもこんなものがと言って示し得る書物があるとしたら、それはダンテ神曲とアウガスチン懺悔録とであろう。

この書の著者の霊に平安あれ、祝福あれ。この書の読者の心に光明あれ、生命あれ。

〔第八六号、一九二七年八月〕

第四 フランシス研究

一 フランシスに於ける清貧及博愛の宗教的意義

アシシのフランシスは清貧の聖者として知られる。すでにダンテもその不朽の詩において彼を歌っていった。

そは、快楽けらくの門を誰しもこれに
 開かぬこと死に似たる「貴女」のため
 若く、かれは父の怒りを犯し、
かくてその霊の法廷のまえに
 父のまえに、彼女と相むすびて
 日に日にいやあつくこれを愛した。

しかし進みゆくにくら過ぎぬよう
 わが繁き語におけるこの愛人らを
 今よりフランシスおよび貧とは知れ。

ジオットもまたアシシの或る壁画に、フランシスがその新婦の手に指輪をはめ居る様を描いたという。新婦は薔薇の冠を戴いてはいるが、貧しき衣をまとい、足は石に傷つき荊棘に裂かれている。

かくのごとくにフランシスと貧とを愛人の関係として見ることは、詩人や画家の想像に始まった事ではなかった。それはフランシスみずからの創意であった。彼がなお若かりし日、その武人たらんと欲する願いは病気のために挫かれたが、同時に彼は今までの生活の態様を一変してしまった。友人たちは屡々元の享楽に誘ったけれども応じなかった。誰いうとしもなく、フランシスには愛人が出来たのであると噂せられた。それを聞いて彼は言った、「まことに私は妻を娶ろうとおもう。それは諸君が想像し得るよりも更に美しき、更に富める、更に純なる婦人である」と。

フランシスはいかにして斯くも貧を愛するに至ったか。すべての初恋物語と同じように、その消息は秘められていて知る由もない。何れにせよ、彼はこのひとりの貴女――誰しもこれに快楽の門を開こうとせぬこと恰も死におけると均しき――を獲んがために、あらゆる犠牲を払った。ダンテの歌った通り、そのために彼は父の怒りをも犯した。父は家名の辱しめらるるを怒り、彼を捉えて鞭うち、かつ古き階段の下の暗室に彼を押籠めた。その決意の動かしがたきを見、かつは同情のあまり、母は父の留守中に彼を解き放った。帰り来て父はいたく怒った。直ちに跡を追って聖ダミヤンの小さき寺院に突進した。しかしてその息子に勘当を宣告し、アシシの僧正のまえ(「霊の法廷」)にて相続権抛棄の誓いをなさしめた。フランシスはすべてを受入れた。そればかりでない、彼はまとえる外衣をさえ脱いで父に返納した。僧正は若人わこうどの熱情に動かされ涙しながら自分の法衣を伸べて彼を蔽った。僧正に召使わるる貧しき労働者が粗末なる外衣を彼に与えた。感謝して彼は受けた。これを着るとき喜色は彼の面にあふれた。「かくてこの天地の大王の僕は一切のものを棄てて、その心真実に愛するところの、裸にて十字架のうえに死にたまえる主に従った」とボナベンチュラは伝える。

フランシスは遂に貧を娶った。しかして日に日にいやあつく彼女を愛した。もはやわがものと称し得べき何物も彼にはなかった。文字通りに「帯のなかに金銀または銭をもたず、旅の袋も、二枚の下衣も、靴も杖も持たず」ただ灰色の上衣に縄の帯をしめ、裸足はだしのままに往ってキリストの嘉信を宣べ伝えた。食は折にふれての働きを成してこれを得た。働きなきときは食を乞うことを恥としなかった。

そののち同志のもの相加わり、一つの教団を形つくるに至っても、この主義を変えることはなかった。フランシス派修道僧は個人としても兄弟団としても、一切、物を所有しなかった。彼らは小児の如くに生計の配慮を忘れてさまよった。彼らは伝道すると共に労働した。例えばフランシスが自己の円卓武士のひとりと呼んだところの兄弟エジヂウスのごときは、ブリンヂシに於いては水を運び、アンコナに於いては籠を造り、ローマに於いては薪を売った。但しいかなる場合にも彼らは金銭を受けなかった。またもし何かを持つことあらば、進んでこれを乏しき人に施した。フランシスみずから或る時外套を贈られ、上衣の上に着ていたが、途にして乞食にこれを与えた。

死にいたるまでフランシスはそのともに忠実であった。もはや最後の近きを知るや、彼はおのが屍を横たうべき柩として、愛する者なる「貧」の懐よりほかのものを願わなかった。即ちその身をあらわなる地上に置かしめ、兄弟たちを祝福し、みずから詩篇第百四十二篇を口すさんで、しかして息絶えた。

輝くたまは彼女の懐より
 いでておのが国に帰らんとねがい
 その身に他の柩を願わなかった。

貧と共にフランシスの生活を彩る今一つの顕著なるものがあった。それは愛である。若き時より彼は同情ふかき人として現われた。乏しき者におしみなく与える事は彼の歓喜であった。施しを乞われて拒むことを彼はみずから厭った。或る日(なお父の家にある頃)馬に乗りてアシシの野外をゆくときひとりのらい病人に遇った、思いがけぬものの突然の出現に嫌悪のあまりたじろいた。しかしたちまちその心痛み、馬よりくだり、進み近づいて、忌まわしの手に接吻し、かつ財嚢ざいのうを傾けそそいだ。物語は伝えていう、彼が再び馬に乗って野を見まわした時には、らい病人は既に消えて影を留めなかったと。ただしさように消えずとも、この小さき一人に仕えたときフランシスはキリストに仕えたのであるとの真理は変わらない。

幾程もなくかれは或るらい病院に入りて不幸なる人々を助けた。後また一切のものを棄てたとき、最初の行動の一つは、再びその同じらい病院に入り看護する事であった。先には美服をまとって来しところに今は弊衣へいいを着けて。

死に臨みて宣べたる遺言の中にいう、「私が罪の絆に縛られていたとき、らい病の人を見るは苦く厭わしくあった。しかし主は私を彼らの中に連れゆきたもうて、私は彼らに憐憫を為した。しかして彼らを去る時には、先に苦く厭わしく見えたものが、大いなる甘美、慰安に変わっていた」と。

彼はすべての棄てられし人を求めた。いかなる悪疾の中にも神の像を見いだして、その人を愛した。

然のみでない、フランシスの愛はなおもゆたかに溢れて万物に及んだ。すべての造られしものの要求に彼は触れた。動植物をも無生物をも各々その理想の姿に於いて彼は眺めた。或る時かれの周囲につどう小鳥にむかって彼は呼びかけた、「小さき姉妹たちよ、なんじら造りぬし神の恩を蒙ること多ければ、到るところ常に彼を讃美せよ。彼はなんじらに思うまま飛び翔るの自由を与えたもうた。また二重三重の衣を与えたもうた。かつまた汝らの種をノアの方舟の中に保ちてなんじらの種族の滅亡を防ぎたもうた。更になんじらのために備えたまえる空気について汝ら深く彼に負う。殊になんじらは播かずまた刈らぬゆえ、神はなんじらを養い、流れや泉を飲料に与え、山や谷を隠所かくれがに、高き樹々を巣に与えたもう。またなんじら紡ぎ縫うことを知らぬゆえ、神はなんじらに着せたもう、汝らにも汝らの子孫にも。神はかくも多くの恩沢を汝らに与えて深く汝らを愛したもう。故に小さき姉妹たちよ、忘恩の罪を慎めよ、しかして常に讃美を神にささぐることを学べよ」と。一たびかれの説教し居るとき、燕の群れがあまりに騒がしく囀るため聴衆に聞こえなかった。彼はいった、「小さき姉妹、燕たちよ、今度は私の番である。神のみことばを聴け。私の終わるまで沈黙して静粛にせよ」。或る時のことばに、「もし私がいつか皇帝に謁見し得るならば、私は神の愛と私の愛とのために彼に乞うて、わが姉妹なる雲雀を捕らえ又は閉じこむることを禁じ、またすべて牛、騾馬などの所有者がクリスマスには特別によきあしらいをなすべきことを命ずる法令を発布して貰おう」と。一疋の狼がグビオの郊外に出没して人をそこなった。住民たちは戦慄した。フランシスは何とかせずにはいられなくなった。彼は兄弟の或る者を伴って出かけた。彼らが直ちに恐怖に充たさるるを見てこれを後にのこし、独り獣穴の途に進んだ。狼は彼を見て顎を開きながら飛びかかろうとした。フランシスはいう、「此処に来よ、兄弟狼、キリストの名において私はなんじに命ずる、私にも人にも害をなすな」。狼は来て彼の足下に伏した(と物語は伝える)。彼はなお狼にむかい、今後人々の備える餌を食ろうて人をそこなうなからんことを命じた。しかして狼はよく之に従い、爾来日々にグビオに来たりて餌を食らい、二年間生存したという。

有名なる「太陽の歌」(或いは「被造物の歌」)に於いて彼は太陽、月、その他の無生物をさえ兄弟姉妹の名を以て呼んでいる。フランシスの口よりこの呼び名を聞くとき、何人もそれが尋常の形容であるとは思わない。

かくのごときがフランシスの面影であった。自己については清貧、他に対しては博愛。貧は彼のともであり、愛はその独子であった。彼のあるところに必ずこの二者はあった。然らば貧と愛とは彼の信仰生活の上に何ほどの意義を有したのであるか。中世(および現代)の多くの基督者のように、フランシスもまたこれらの行為によって神に義とせられんことを欲したのであるか。彼は貧と愛とを自己の功績に算え、これに頼って神の前に出ようとしたのであるか。言い換えれば、フランシスはその清貧博愛の生活に於いて、天国をあがなわんための価を積んだのであるか。

もしそうであるならば、私は明らかに言う、フランシスは大いなる間違いをなしたのであると。よしその貧がいかに清くあろうとも、その愛がいかに深くあろうとも、之を己の義として神の前に立つるに至っては、赦されがたき不遜の罪である。神は是の如き献物を受け給わない。却って之を斥けなげうちたもう。

この問題はいつにフランシスの宗教的回心の経験如何に係わる。然るに不幸にして我らは彼の回心の歴史をさだかに跡つけることが出来ない。聖ダミヤンの教会に於いて祈りせるときに彼が聴いた声というのも、その意義甚だ明白なるものではない。少なくとも彼にはパウロ又はアウガスチン又はルーテル等に於いて見たるごとき徹底せる福音的回心の実験がなかった事だけは、諸種の事情よりこれを推定して恐らく謬らぬであろう。

しかしながらその故に彼の生涯を以て行為による義の追求であったと見ることは出来ない。フランシスの貧といい愛といい、之を何らかの目的に対する道徳的手段と見るには、余りにも自然であり、必然であった。彼は商人のごとくに貧を資本に商売したのではない。まことに彼は貧を恋したのである。貧しき生涯ならずしては彼に適わなかったのである。愛もまたそうである。愛することの酬いに何かを獲ようと彼は望まなかった、愛することその事が報酬であった。愛せずしては生くるに甲斐なきを彼はおもったのである。貧も愛も彼には努力ではなくして趣味であった。外より迫らるる律法おきてではなくして内より湧きいづる生命いのちであった。

この趣味とし生命としてのフランシスの貧と愛とは、一つには彼の性格にも基づいたであろう。確かにそうである。なお若き頃よりすでに彼は貧を妻として娶らんことをおもい、またむごたらしき人々に対する同情に富んでいた。しかしながらその回心の経験の後にいたりては、単に生来の性格を以ては説明しがたき深き意義の之に加わったことを見る。信者としてのフランシスにとっては、貧はただに所有の問題ではなくして、実に此の世における正しき生活の必然的境遇であったのである。また愛はただに一つの道徳ではなくして、実に宗教の始めであり終わりであったのである。彼は一たび神の恩恵によりて新らに生まれ正しき途に進むや、自らを貧しくせずしては何らか大いなる矛盾の中にあるの思いを禁じ得なかった。同時にまた愛することなくしては、たとえ祭壇の前に跪き熱き祈祷を繰り返すとも神との親しみ足らぬを覚えたのである。信仰はフランシスをして貧しからざるを得ざらしめ、また愛せざるを得ざらしめた。貧と愛とは共に彼に対するキリストの霊感であった。

然り、キリストの霊感である。救われんが為につとめて貧しくなりかつ愛したのではなくして、救われたるが故におのずから貧しくなりかつ愛せざるを得なかったのである。フランシスの清貧と博愛とに確かにこの信仰的必然性がある。

けだし信仰の途はキリストと共に死に、またキリストと共に生きるの途である。キリストはみずから世に死んだ。十字架はその死の総括であった。しかし十字架に上る前よりして彼は日々に死につつあった。始めに神のかたちに於いてありし彼が、己を虚しくして人となって降ったときに彼の死は始まったのである。聖書はこの事を説明して、「即ち富める者にていましたれど、汝らのために貧しき者となり給えり」という(後コリント八の九)。死は即ち貧である。世に最も貧しかりし人はイエスであった。彼と共に死ぬものは彼と共に貧しくならざるを得ない。キリストを愛することの深きものほど彼の貧に与かることもまた深い。フランシスは人にまさりて主を愛した。故に彼は人にまさりて貧しくあった。

しかし死は信仰生活の半面に過ぎない。その他の半面に生がある復活がある。キリストは死にてまた復活した。その死にたるは復活せんがためであったと言い得る。何となれば復活のキリストにして初めて多くの人に生命を与え得るからである。彼が貧しき者となったのはその意味に於いて人を富まさんが為であった。「これ汝らが彼の貧窮まづしきによりて富める者とならんためなり」(後コリント八の九)。基督者はキリストと共に死にて自らを虚しくし、また彼と共に甦りて人を富ます。復活的生命は必ず愛の生命でなくてはならない。キリストの霊を胸にやどせる者は、また彼の愛をもって人を愛せざるを得ない。フランシスには復活のキリストが宿った。故に彼は怪しきばかりに熱く人を愛した。

我らはフランシスの信仰にも思想にも行動にも中世風の迷謬が染っていたことを認める。しかしそのキリストの霊感による貧と愛との徹底的なる実行に対しては、歎美を禁じ得ないものである。我らは彼より学ぶ所がなくてはならない。

二 フランシスは禁慾主義者なりしか

中世の文化を織り成せる経糸たていと緯糸ぬきいと公同教会主義カソリシズム僧院主義モナスチシズムとであった。しかして前者を代表するものにアウガスチンがあるように、後者にはフランシスがある。

僧院主義は古く第四世紀の頃から発生した。その起源は異教の禁慾的思想にあった。即ち肉体を本来悪なるものと見て之を征服する事により霊魂の自由を得んと欲する観念である。それが基督教と結び付いて、神との交通を寂しき荒野の僧院に求めんとする僧院主義として現われたのである。

フランシスを僧院主義の最大なる代表者として考えるとき、我らは当然彼の禁慾主義を予想する。また彼の言行の中にこの予想を裏書するものがないではない。

しかしながら彼の生涯を大観するに、我らは禁慾主義と相反する色彩の甚だ顕著であることを見る。

フランシスは禁慾主義者のごとく厭世悲観の徒ではなかった。却って彼の人生は歓喜の人生であり、彼の宗教は歓喜の宗教であった。彼は灰色の衣に縄帯を締めながら、途ゆくとき屡々高らかに歌った。それは内なる歓喜の自然の発露であった。その若き日よりいわゆる遍歴詩人トルーバドルの恋愛歌を愛したる彼は後年に至っても、歌詞はとにかくとして少なくともその歌曲はなおこれを吟誦したらしい。或る権威たちによれば、彼はイタリアの俗語詩の開祖であるとまで言われる。赤貧と侮蔑と迫害との中にありてキリストの愛のゆえに完き悦びを見いだすのが彼の宗教であった。彼にとっては世界はその何処にも神の姿をやどせるいとも愛すべきものであった。かがやく日と月と星と、用おおき空気と雲と水と、力ある火と、そのほか万物の故に彼は神を讃美した。

彼は飢渇又は鞭打によっておのが身をさいなむような事をしなかった。彼は言った、「厳しき痛悔によって身を滅ぼせるものは、果たして永遠の福祉に与かり得るか否かを私は疑う」と。勿論祈りのために断食はした。しかし或る時は断食のために健康を損える兄弟にパンを持ちゆきて之を勧めた。おおよそ彼の生涯には陰鬱なる自己苛責的憔悴のおもかげを見ない。

彼は世を避けて僧院にひそむを理想としなかった。人と断ちて専らおのが霊魂の安全を図るがごときは彼には思いよらぬ事であった。まさしくその反対に、フランシスの目標は僧院より世へであった。彼はおのが霊魂にも劣らずすべての悩める人々をおもった。真実なる生活は少数同志に限らず万人に妥当であるべきを彼は信じた。故に従来の僧院主義の退嬰的態度を棄てて、彼は最も痛快なる進撃的態度に出た。フランシスは万人を悉く彼のごとき僧徒たらしめ、世界をさながらに一大僧院化せんと欲した。何となれば彼は貧と愛との生活が人の真実なる生活であることを信じたからである。この理想のもとに生まれたものがいわゆる第三教団(the Tertiaries)である。それは世のあらゆる男女をしてその家庭と職業との中に留まりながら貧愛の生活を実行せしめんとするの試みであった。誠に雄大なる理想である。我らはここに凡ての基督者を祭司と見るところの宗教改革の思想の先駆を見る。フランシスの生活はその宗教的意義に於いて近世清教徒のそれと多く異ならない。

斯のごとくにしてフランシスは僧院主義をその理想にまで引上げ、之に新生命を吹き込んだのである。彼を旧来の禁慾主義者と同視するは甚だ当らない。

〔第八八号、一九二七年一〇月〕


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