基督信徒のなぐさめ 前文并序

回顧三十年

此書今年を以て発行満三十年に達す。大なる光栄である。感謝に堪へない。

今より三十年前に日本に於て日本人の基督(キリスト)教文学なる者はなかつたと思ふ。若しあつたとすれば、それは欧米基督教文学の翻訳であつた。日本人自身が基督教の事に就て独創の意見を述べんと欲するが如き、僭越の行為である乎(か)の如くに思はれ、敢て此事を為す者はなかつた。

丁度其頃の事であつた、米国の学校に於て余と同級生たりし米国人某氏が余を京都の寓居に訪うた。彼れは余に問うて曰うた「君は今何を為しつつある乎」と。余は彼に答へて曰うた「著述に従事しつつある」と。彼は更に問うて曰うた「何を翻訳しつつある乎」と。余は答へて曰うた「余は自分の思想を著(あら)はしつつある」と。此答に対して彼は「本当に(インデイード)!」と曰ふより他に辞(ことば)がなかつた。

誠に当時の米国人(今も猶(なほ)然り)の日本の基督信者に対する態度は大抵如斯(かくのごとき)ものであつた。そして如斯き時に方(あたつ)て、欧米の教師に依らずして、直に日本人自身の信仰的実験又は思想を述べんと欲するが如きは大胆極まる企図(くはだて)であつた。

然るに余は神の佑助(たすけ)に由り恐る恐る此事を行(や)つて見た。殊に何よりも文学を嫌ひし余のことであれば、美文として何の取るべき所なきは勿論であつた。余はただ心の中に燃(もゆ)る思念(おもひ)に強ひられ止むを得ず筆を執(と)つたのである。

此事初めて出て第一に之を歓迎して呉れた者は当時の『護教』記者故山路愛山君であつた。君は感興の余り鉄道馬車の内に在りて之を通読したりと云ふ。然し其他に基督教界の名士又は文士にして之を歓迎して呉れた者はなかつた。

或ひは「困難の問屋(とひや)である」と云ひて冷笑する者もあり、或は「国人に捨てられし時」などと唱へて自分を国家的人物に擬するは片腹痛しと嘲(あざ)ける者もあつた。

然し余は教会と教職とに問はずして直に人の霊魂に訴へた。而して数万の霊魂は余の霊魂の叫(さけび)に応へて呉れた。

余の執筆の業は此小著述を以て始つた。余は此著を以て独り基督教文壇に登つた。而して教会並に教職の同情援助は余の身に伴(ともな)はざりしと雖(いへど)も、神の恩恵と平信徒の同情との余に加はりしが故に、余は今日に至るを得たのである。教会の援助同情の信仰的事業の成功に何等の必要なき事は此一事を以ても知らるるのである。

神は日本人を以て日本国を救ひ給ふと信ずる。神は日本に日本特有の基督教文学を起し給ひし事を感謝する。此書小なりと雖も、外国宣教師の手を離れ、教会の力を藉(から)ずして、直に神に聴(きき)つつ其御言を伝うる率先者の一たりし事を以て光栄とする。

余はまた茲(ここ)にエベネゼル(助けの石)を立て、サムエルと共に之に記(しる)して曰ふ「ヱホバ茲まで我を助け給へり」と。(撒母耳(サムエル)前書七章十二節)

大正十二年(一九二三年)二月七日

東京市外柏木に於て 内村鑑三

自序

心に慰めを要する苦痛あるなく、身に艱難の迫るなく、平易安逸に世を渡る人にして、神聖なる心霊上の記事を見るも、唯人物批評又は文字解剖の材料を探るにとどまるものは、些少の利益をも此書より得ることなかるべし。

然(しか)れども信仰と人情とに於ける兄弟姉妹にして、記者と共に心霊の奥殿に於て霊なる神と交はり、悲哀に沈む人霊と同情推察の交換を為さんと欲するものには、此書より多少の利益を得ることならんと信ず。

此書は著者の自伝にあらず。著者は苦しめる基督信徒を代表し、身を不幸の極点に置き、基督教の原理を以て慰めんことを力(つと)めたるなり。書中引用せる欧文は、必要と認むるものにして原意を害(そこな)はずして翻訳し得るものは、著者の意訳を附したり。然れども訳し得ざるもの、又は訳するの必要なきものは、其の儘に存し置けり、故に欧文を解し得ざる人と雖(いへど)も、此書を読むに於て少しも不利益を感ぜざることを信ず。

明治二十六年一月廿八日

摂津中津川の辺に於て 内村鑑三

改版に附する序

此書初めて成るや余は勿論先づ第一に之を余の父に送れり(彼は今は主に在りて雑司ヶ谷の墓地に眠る)。彼れ一読して涙を流して余に告げて曰く、此書成りて今や汝は死するとも可なり、後世、或は汝の精神を知る者あらんと。余は又其一本を余の旧友M・Cハリス氏に贈りたり(彼は今や美以教会の監督として朝鮮国に在り)。彼れ一読して余に書送して曰く、此書蓋(けだ)しペンが君の手より落ちて後にまで存せんと。

斯くて余の父と友とに祝福せられて世に出し此小著は彼等の予期に違(たが)はず、版を摩滅すること二回に及びて、更に又茲に改版を見るに至れり。其文の拙なる、其想の粗なる、取るに足らざる書なりと雖も、而かも其発刊以来十八年後の今日猶(な)ほ需要の絶えざるを見て、余は暫時的ならざる小著を余に供せしの特権に与(あづか)りしを深く神に感謝せざるを得ず。

願ふ、余の慈父と師友との祈祷空しからずして、此著の更に世の憂苦を除き去るの一助として存せんことを。

一九一〇年六月廿三日

東京市外柏木に於て 内村鑑三