第1章 愛するものの失せし時
我は死に就ては生理学より学べり。之を詩人の哀歌に読めり。之を伝記者の記録に見たり。時には死体を動物学実験室に解剖し、生死の理由を研究せり。時には死と死後の有様に就て、高壇より公衆に向て余の思想を演(の)べたり。
人の死するを聞くや、或は聖経の章句を引用し、或は英雄の死に際する時の状(さま)を語つて、死者を悲しむ者を慰めんとし、若(も)し余の言(ことば)に依て気力を回復せざるものある時は、余は心窃(こころひそか)に其人の信仰薄きを歎じ、理解の鈍きを責めたり。
余は知れり、死は生を有するものの避くべからざる事にして、生物界永続の為に必要なるを。且つ思へらく古昔(いにしへ)の英雄或は勇み或は感謝しつつ世を去れり、余も何ぞ均(ひと)しく為す能(あた)はざらんや、殊に宗教の助(たすけ)あり、復活の望(のぞみ)あり、若し余の愛するものの死する時には、余は其枕辺(まくらべ)に立ち、讃美の歌を唱へ、聖書を朗読し、曾(かつ)て彼をしてその父母の安否を問はんが為め一時郷里に帰省せしめんとして、讃美と祈祷とを以て彼の旅立を送りし時、暫時の離別も苦しけれども復(また)遭ふ時の悦(よろこび)を楽しみ、涙を隠し愁苦(いうく)を包み、潔(いさぎ)よく彼の門出を送りし如く、彼の遠逝(えんせい)を送らんのみと。
嗚呼(ああ)余は死の学理を知れり。又心霊上其価値を悟れり。然れども其深さ、痛さ、悲しさ、苦しさは、其冷たき手が余の愛するものの身に来り、余の連夜熱血を灌(そそ)ぎて捧げし祈祷をも顧みず、余の全心全力を擲(なげう)ち余の命を捨てても彼を救はんとする誠心(まごころ)をも顧みず、無慙(むざん)にも無慈悲にも余の生命(いのち)よりも貴きものを余の手よりもぎ取り去りし時、初めて実感するを得たり。
生命は愛なれば、愛するものの失せしは余自身の失せしなり。此完全最美なる造花、其幾回(いくたび)となく余の心をして絶大無限の思想界に逍遥せしめし千万の不滅灯を以て照らされたる蒼穹(あおぞら)も、其春来る毎に余に永遠希望の雅歌を歌ひくれし翼(つばさ)を有する森林の親友も、其菊花香(かんば)しき頃巍々(ぎぎ)として高天に聳(そび)え常に余に愛国の情を喚起せし芙蓉(ふよう)の山も、余が愛するものの失せてより、星は光を失ひて夜暗く、鶯は哀歌を奏して心を傷ましめ、富嶽も今は余のものならで、曾て異郷に在りし時、モナドナックの倒扇形(たうせんけい)を見、コトバキシの高きを望みし時、我故郷ならざりしが故にその美と厳とは却(かへつ)て孤独悲哀の情を喚起せし如く、此世は今は異郷と変じ、余は尚(な)ほ今世(こんせい)の人なれども、既に此世に属せざるものとなれり。
愛するものの死せしより来る苦痛は、僅(わづか)に此世を失ひしに止まらざりき。此世は何時か我等の去るべきものなれば、今之を失ふも三十年の後に失ふも大差なかるべし。
然れども余の誠心(まごころ)の貫かれざるより、余の満腔(まんかう)の願として溢れ出でし祈祷の聴かれざるより(人間の眼より見れば)、余は懐疑の悪鬼に襲はれ、信仰の立つべき土台を失ひ、之を地に求めて得ず、之を空に探りて当らず、無限の空間余の身も心も置くに処なきに至れり。
之ぞ無間地獄(むげんぢごく)にして、永遠の刑罰とは此事を云ふならんと思へり。余は基督教を信ぜしを悔いたり。若し余に愛なる神てふ思想なかりせば、此苦痛はなかりしものを。余は人間と生まれしを歎ぜり。若し愛情てふものの余に存せざりしならば、余に此落胆なかりしものを。嗚呼如何にして此傷を癒(いや)すを得んや。
医師余の容態(ようだい)を見て興奮剤と催眠薬とを勧む。然れども何物か傷める心を治せんや。友人は転地と旅行を勧む。然れども山川今は余の敵なり。哲理的冷眼を以て死を学び、思考を転ぜんとするも得ず、牧師の慰言(いげん)も親友の勧告(すすめ)も今は怨恨(うらみ)を起すのみにして、余は荒熊のごとくになり、「愛するものを余に返せ」と云ふより外はなきに至れり。
嗚呼余を医する薬はなきか。宇宙間余を復活せしむるの力は存せざるか。万物悉(ことごと)く希望あり、余のみ失望を以て終るべきか。
時に声あり胸中に聞ゆ。細くして殆ど聴取し難し。尚ほ能く聞かんと欲して心を鎮(しづ)むれば其声なし。然れども悪霊懐疑と失望とを以て余を挫(くじ)かんとする時其声また聞ゆ。曰く
『生は死より強し。生は無生の土と空気とを変じてアマゾンの森となすが如く、生は無霊の動物体を取りて汝の愛する真実と貞操との現象となせしが如く、生は人より天使を造るものなり。
『汝の信仰と学術とは未だ茲に達せざるか。此地球が未だ他の惑星と共に星雲として存せし時、又は凝結少しく度を進めて一つの溶解球たりし時、是ぞ億万年の後シャロンの薔薇を生じレバノンの常磐樹(ときはぎ)を繁茂せしむる神の楽園とならんとは、誰か量り知るを得んや。
『最初の博物学者は蛄蟖(けむし)の変じて蛹(まゆ)と成りしときは、生虫は死せしと思ひしならん。他日美翼を翻(ひるが)へし日光に逍遥する蝶は、曾て地上に匍匐(ほふく)せし醜(みにく)かりしものなりしとは、信ずることの難かりしならん。
『暗黒時代より自由信仰と代議政体生れ、「三十年戦争」の舞台として殆ど砂漠と成りし独逸(ドイツ)こそ、今は中央欧羅巴(ヨーロッパ)の最強国となりしにあらずや。地球と人類とが年を越ゆる程、生は死に勝ちつつあるにあらずや。
『然(さ)らば、望と徳とを有し、神と人とに事(つか)へんと己を忘れし汝の愛するものが、今は死体となりしとて何ぞ失望すべけんや、理学も歴史も皆希望を説教しつつあるに、何ぞ汝独り失望教を信ずるや』と。
Life mocks the idle hate
Of his arch-enemy Death,--yea sits himself
Upon the tyrant's throne,the sepulchre,
And of the triumphs of his ghostly foe
Makes his own nourishment.
--Bryant
然り余は信ず、余の救主(すくひぬし)は死より復活し給ひしを。義人を殺して其人死せりと信ぜし猶太人(ユダヤびと)の浅墓さよ。何ぞヒマラヤ山を敲(たた)きて山崩れしと信ぜざる。
余が愛するものは死せざりしなり。自然は自己の造化を捨てず、神は己の造りしものを軽んずべけんや。彼の体は朽ちしならん、彼の死体を包みし麻の衣は土と化せしならん、然れども彼の心、彼の愛、彼の勇、彼の節ーー嗚呼若し是等も肉と共に消ゆるならば万有は我等に誤謬を説き、聖人は世を欺きしなり。余は如何にして、如何なる体を以て、如何なる処に再び彼を見るやを知らず。唯
Love does dream,Faith does trust
Somehow,somewhere meet we must.
--Whittier
愛の夢想を我れ疑はじ
何様(どう)か何処(どこ)かで相見んと。
(ホイッチャー)
然れども彼は死せざるものにして、余は何時か彼と相会することを得ると雖も、彼の死は余に取ては最大不幸なりしに相違なし。神若し神ならば何故に余の祈祷を聴かざりしや。神は自然の法則に勝つ能はざるか。或は祈祷は無益なるものなるか。或は余の祈祷に熱心足らざりしか。或は余の罪深きが故に聞かれざりしか。或は神余を罰せんが為に此不幸を余に降(くだ)せしか。是れ余の聞かんと欲せし所なり。
細き声また曰く『自然の法則とは神の意なり。雷(いかづち)は彼の声にして嵐は彼の口笛なり。然り、死も亦彼の天使にして、彼が彼の愛するものを彼の膝下に呼ばんとする時、遣(つか)はし給ふ勅使なり』と。
嗚呼誰か神意と自然の法則とを区別し得るものあらんや。神若し余の愛するものを活かさんと欲せば、自然の法則に依て活かせしのみ。余輩神を信ずるものは之に由て神に謝す。然れども神を信ぜざる者は或は之を医薬の効に帰し、或は衛生の力に帰し、治癒の源(みなもと)なる神を讃美せざるなり。神の何たるを知り、自然の法則の何たるを知らば、神は「自然に負けたり」との言は決して出づべきものにあらず。
然らば祈る何の要かある。神は祈祷に応じて雨を賜はず、又聖者の祈祷に反して種々の艱苦を下せり。祈らずして神命に従ふに若(し)かず。祈祷の要は何処(いづこ)にありや。
是れ難問題なり。余は余の愛するものの失せしより後数月間、祈祷を廃したり。祈祷なしには箸を取らじ、祈祷なしには枕に就かじと堅く誓ひし余さへも、今は神なき人となり、恨(うらみ)を以て膳に向ひ、涙を以て寝床に就き、祈らぬ人となり了(をは)れり。
嗚呼神よ恕(ゆる)し給へ。爾(なんぢ)は爾の子供を傷(きづつ)けたり。彼は痛(いたみ)の故に爾に近づく能はざりしなり。爾は彼が祈らざるが故に彼を捨てざりしなり。否、彼が祈りし時に勝りて爾は彼を恵みたり。彼れ祈り得る時は爾の特別の恵みと慰めとを要せず。彼れ祈る能はざる時彼は爾の擁護を要する最も切なり。
余は慈母が、その子病(やまひ)に臥(ふ)して言語(ことば)に礼を失し易く、小言がましき時に当て、慈愛の情の平常に勝りて、病児を看護するを見たり。
爾無限の慈母も亦余の痛める時に余を愛すること、余の平常無事の時の比に非ざるなり。余の愛するもの失せて後、余が宇宙の漂流者となりし時、其時こそ爾が爾の無限の愛を余に示し得る時にして、余が爾を捨んとする時、爾は余の迹(あと)を逐(お)ひ、余をして爾を離れ得ざらしむ。
然り祈祷は無益ならざりしなり。十数年間一日の如く朝も夕も爾に祈りつつありしが故に、今日此思はざるの喜びと慰めとを爾より受くるを得しなり。
嗚呼父よ、余は爾に感謝す、爾は余の祈祷(いのり)を聴き給へり。爾曾て余に教へて曰く、肉の為に祈る勿れ霊の為に祈れと。而して余は余の愛するものと共に爾に祈るに、この世の幸福を以てせざりしなり。若しその為めに祈りし時は、必ず「若し御心に適(かな)はば」の語を付せり。
自己の願事(ねぎごと)を聴かば信じ、聴かずば恨むは、是れ偶像に願を掛くるものの為す所にして、基督信者の為すべき事にあらざるなり。嗚呼余は祈祷を廃すべけんや。余は今夕より以前に勝る熱心を以て、同じ祈祷を爾に捧ぐべし。
時に悪霊余に告げて曰く『汝祈祷の熱心を以て不治の病者を救ひし例を知らざるか、汝の祈祷の聴かれざりしは汝の熱心足らざりしが故なり』と。
若し然らば余の愛するものの死せしは、余の熱心の足らざりしが故か。然らば彼を死に至らしめし罪は余にあり。余は実に余の愛せしものを殺せしものなり。若し熱心が病者は救ひ得ば、其熱心を有せざる人こそ憐れむべきかな。
余は余の信仰の足らざるを知る。然れども余は余の熱心のあらん限り祈りたり。而して聴かれざりしなり。若し尚ほ余の熱心の足らざるを以て余を責むるものあらば、余は余の運命に安んずるより他に途なきなり。
嗚呼神よ、爾は我等の有せざるものを我等より要求し給はざるなり。余は余の有するだけの熱心を以て祈れり。而して爾は余の愛するものを取去れり。父よ、余は信ず、我等の願ふ事を聴かれしに依りて爾を信ずるは易し、聴かれざるに依りて尚ほ一層爾に近づくは難し。
後者は前者に勝りて爾より特別の恩恵を受けしものなり。若し我の熱心にして爾の聴かざるが故に挫けんものならんか、爾は必ず我の祈繭を聴かれしならん。
嗚呼感謝す、嗚呼感謝す、爾は余の此大試練に堪ふべきを知りたればこそ余の願を聴き給はざりしなれ。余の熱心の足らざるが故にあらずして、却て余の熱心(爾の恵みに因(よ)りて得し)の足るが故に、余に此苦痛ありしなり。嗚呼余は幸福なるものならずや。
愛なる父よ、余は信ず爾は我等を罰せん為めに艱難を下し給はざる事を。罰なる語は、爾の如何なる者なるかを知る者の字典の中に存すべき語にあらざるなり。
罰は法律上の語にして、基督教てふ律法(おきて)以上の教に於ては用もなき意味もなき名詞なり。若し強ひて此語を存せんとならば、「暗く見ゆる神の恵」なる定義を附して存すべきなり。刑罰なる語を以て爾に愛せらるるものを屢々威嚇する爾の教役者をして、再び爾の聖書を探らしめ、彼等の誤謬を改めしめよ。
然れども余に一事忍ぶべからざるものあり。彼は何故に不幸にして短命なりしか。彼の如き純白なる心霊を有しながら、彼の如く全く自己を忘れて彼の愛するものの為めに尽しながら、彼に一日も心痛なきの日なく、此世に眼開(めひらい)てより眼を閉ぢしまで、不幸艱難打続き、而して後彼れ自身は非常の苦痛を以て余を終れり。此解すべからざる事実の中に如何なる深義の存するか、余は知らんと欲するなり。
聖書に云はずや、地は神を敬するもの為に造られたりと(ヨブ記十五章十九節)。然るに此最も神を慕ひし者は、最もわづかに此世を楽んで去れり。
ブラヂル国の砂中に埋もる大金剛石は誰の為めに造られしや。無辜を虐げ真理を蔑視する女帝、女王の頭を飾る為めにか。或は安逸以て貴重なる生命を消費し、春は花に遊び秋は月に戲れ、此の神聖なる神の工場(God’Task-garden)を以て一つの遊戯場と見做す懶惰男女の指頭と襟とに光沢を加へん為にか。
東台の桜、亀井戸の藤は、黄白(=お金)の為めに身を汚し天使の形に悪鬼の靈を注入せし妖怪の所有物なるか。誰(た)が為めに富岳は年々荘厳なる白冠を戴(いただ)くや。誰が為めに富士川の銀線は其麓を縫ふや。
最も清きもの最も愛すべきものには、朝より夕まで、月満ちてより月欠くるまで、彼の視線は一小屋の壁に限られ、聴くべきものとては彼の援助(たすけ)を乞ふ痛めるものの声あるのみ。嗚呼造化は此最良最美の地球を悪魔と其子供とに譲与せしか。
此深遠なる疑問に対し答ふる所二個あるのみ。即ち神なるものは存在せざるなり。又は此地球に勝る世界の、義人の為めに備へらるるあるなり。
而して若し神なしとせば真理なし。真理なしとせば宇宙を支ふる法則なし。法則なしとせば我も宇宙も存在すべきの理なし。故に我自身の存在する限りは、此天此地の我目前(めのまへ)に存する限りは、余は神なしと信ずる能はず。
故に理論は余をして、已むを得ず未来存在を信ぜざるを得ざらしむ。若し神はブラヂルの金剛石、ボゴタの靑玉(せいぎよく)、オフルの黄金を以て懶惰貪慾不義を粧(よそほ)ひ給ふならば、勤勉無私貞節を飾る其石其金は如何なるものぞ。
コーノイル、オルロー(共に大金剛石の名)の宝石を以て冠(かんむり)を編み、ペルシャの真珠百千を以て襟飾(えりかざり)となし、ウラルの白銀、オルマッヅの金を打つて腕輪となして彼を飾るも神は尚ほ足らずとなし、別に我等の知らざる結晶体を造り、金に優る鉱物を製し、彼を粧ひつあるならん。
然り此地は美にして其富は大なり。然れども佞人(ねいじん)も之を手にするを得べきものなれば、決して無窮の価値を有するものにあらず。我の欲する所のものは悪人の得る能はざるもの、楽しみ得ざるものなり。義人の妝飾(かざり)は「髪を辮(あ)み金を掛けまた衣を着るが如き外面の妝飾(かざり)に非ず、ただ心の内の隠れたる人すなはち壊(くつ)ることなき柔和恬静(おだやか)なる靈」なり。
余は了解せり宇宙の此隠語を。此美麗なる造化は我等が之を得ん為めに造られしにあらずして、之を捨てんが為めに造られしなり。否、人若し之を得んと欲せば先づ之を捨てざるべからず(マタイ伝十六章廿五節)。誠に実に此世は試錬の場所なり。
我等意志の深底より世と世のすべてを捨去りて後初めて我等の心霊も独立し、世も我等のものとなるなり。死にて活き、捨てて得る。基督教のパラドックス(逆説)とは此事を云ふなり。
余の愛するものは生涯の目的を達せしものなり。彼の宇宙は小なりき。然れども其小宇宙は彼を靈化し、彼を最大宇宙に導くの階段となれり。然り神は此地を神を敬するものの為めに造り給ひしなり。
余の失ひしものを思ふ毎に、余をして常に断腸後悔殆ど堪ふる能はざらしむるものあり。彼が世に存せし間余は彼の愛に慣れ、時には不興を以て彼の微笑に報い、彼の真意を解せずして彼の余に対する苦慮を増加し、時には彼を呵斥(かせき)し、甚しきに至りては彼の病中余の援助を乞ふに当てーー仮令(たとひ)数月間の看護の為めに余の身も精神(こころ)も疲れたるにもせよーー 荒らかなる言語(ことば)を以て彼に答へ彼の乞に応ぜざりし事ありたり。
彼は渾(すべ)て柔和に渾て忠実なるに、我は幾度か冷酷にして不実なりき。之を思ひて余は地に恥ぢ天に恥ぢ、報ゆべきの彼は失せ、宥(ゆるし)を乞ふの人はなく、余は悔い能はざるの後悔に苦しめられ、無間地獄の火の中に我と我身を責め立てたり。
一日余は彼の墓に至り、塵を払ひ花を手向け、最高(いとたか)きものに祈らんとするや、細き声ありーー天よりの声か彼の声か余は知らずーー余に語つて曰く
『汝何故に汝の愛するものの為めに泣くや。汝尚ほ彼に報ゆるの時をも機(をり)をも有せり。彼の汝に尽せしは汝より報(むくい)を得んが為めにあらず。汝をして内に顧みざらしめ、汝の全心全力を以て汝の神と国とに尽さしめんが為めなり。
『汝若し我に報いんとならば此国此民に事(つか)へよ。かの家なくして路頭に迷ふ老婦は我なり。我に尽さんと欲せば彼女に尽せ。かの貧に迫(せ)められて身を恥辱の中に沈むる可憐の少女は我なり。我に報いんとならば彼女を救へ。かの我の如く早く父母に別れ憂苦頼るべきなき児女は我なり。汝彼女を慰むるは我を慰むるなり。
『汝の悲歎後悔は無益なり。早く汝の家に帰り、心志を磨き信仰に進み、愛と善との業(わざ)を為し、霊の王国に来る時は夥多(あまた)の勝利の分捕物(ぶんどりもの)を以て我主と我とを悦ばせよ』と。
嗚呼如何なる声ぞ。曾てパマカスなる人が妻ポーリナを失ひし時、聖ジェロームが彼を慰めん為めに「他の良人(をつと)は彼等の妻の墓を飾るに菫菜草(すみれさう)と薔薇花(ばらのはな)とを以てするなれど、我がパマカスはポーリナの聖なる遺骨を湿(うるほ)すに慈善の乳香を以てすべし」と書き送りしは、蓋し余が余の愛するものの墓に於て心に聞きし声と均しきものならん。
よし今日よりは以前に勝る愛心を以て余を憐むべきものを助けん。余の愛するものは肉身に於ても失せざるなり。余は尚ほ彼を看護し彼に報ゆるを得るなり。此国此民は、余の愛するものの為めに余に取ては一層愛すべきものとなれり。
一婦人の為めに心思を奪はれ残余の生涯を悲哀の中に送るは、情は情なるべけれども、是れ真正の勇気にあらざるなり。基督教は情性を過敏ならしむるが故に、悲哀を感ぜしむる亦従て強し。然れども真理は過敏の情性を錬り、無限の苦痛の中より無限の勇気を生む者なり。
アナ・ハセルトン女の死は、宣教師ジャドソンをして益々勇敢忠実ならしめたり。メリー・モファト女の死は、探検家リビングストンをして暗黒大陸に進入する事益々深からしめたり。詩人シルレルの所謂
Der starke ist mächtigsten allein.
勇者は独り立つ時最も強し。
との言は蓋し此の意に外ならじ。若し愛なる神の在(いま)して勇者を一層勇ならしめんとならば、其愛する者をもぎ取るに勝れる方法はなかるべし。
余は余の愛するものの失せしに由(より)て国をも宇宙をもーー時には殆ど神をもーー失ひたり。然れども再び之を回復するや、国は一層愛を増し、宇宙は一層美と荘厳とを加へ、神には一層近きを覚えたり。余の愛する者の肉体は失せて彼の心は余の心と合せり。何ぞ思はん真正の合一は却て彼が失せし後にありしとは。
然り余は万を得て一つを失はず。神も存せり、彼も存せり、国も存せり、自然も存せり。万有は余に取りては彼の失せしが故に改造せられたり。
余の得し所之に止まらず、余は天国と縁を結べり。余は天国てふ親戚を得たり。余も亦何時か此涙の郷(さと)を去り、余の勤務(つとめ)を終へて後永き眠に就かん時、余は未知の異郷に赴くにあらざれば、彼が曾て此世に存せし時、彼に会して余の労苦を語り終日の疲労(つかれ)を忘れんと、業務も其苦(く)と辛(しん)とを失ひ、喜悦(よろこび)を以て家に急ぎしが如く、残余の此世の戦闘(たたかひ)も相見ん時を楽みに能く戦ひ終へし後、心嬉しく逝かんのみ。